◆◇――◇◆
「そう、梓さんも戻って来たんだ。元気だった? あ、元気だよね。でも……」
呼び出された理由は帰ってきた梓に顔を見せに行くということ。それを聞いた真琴は驚き半分、安堵三割、複雑二割の様子だった。
夏休み最初の三日間、彼女の別荘に招待された二人はとある事件に巻き込まれてしまった。二人はことなきを得るも、梓は深い心の傷を負った。
彼女を励ましてあげたいと思う一方、自分にそれができるのか不安がある。なぜなら真琴は梓の気持ちを知っているから。
彼女は自分を想い、自分は澪を想う……。
「でね、アタシ一人でいくのもあれだから、真琴にも来てもらおうと思ったの」
「うん。僕も梓さんに会いたいし、そのほうが……。さ、いこっか」
真琴は澪の手を引いて駆け出そうとする。
「あ、待ってよ真琴、そんな急がないで!」
なれないパンプスと丈の気になるスカートを翻し、澪もそれに続く。
言いかけた駆け足で遮る。それは彼が弱さを誤魔化すためのことで、澪はそれに気付くことも無かった。
***
代々続く資産家の家である真澄家は、小高い山の上にある。
この暑いなか坂を上るのは大変だが、周囲を見るのもそれなり非日常的な風景があり、軽いピクニック気分を楽しめた。
藤一郎氏が健在だったころは彼の運転する車で送られていたらしいが、今は自転車で坂を颯爽と駆けるお嬢様の姿がちらほらとか。
元気一杯の梓お嬢様。
真琴の前ではいつも猫を被っていたが、本当は学食の焼きそばパンが大好きな普通の十七歳。
だからこそ、不安だった。
彼女は暴漢によってレイプされ、その状況を複数の人間に目撃された。いくら表ざたにならなかったとはいえ、耐えがたい苦痛であったのは事実。
なにより、好きな人の前で……。
正直真琴は会うのが辛かった。
――なんて言えばいんだろ。元気ですか? ちがうなあ。だって僕、梓さんを助けてあげられなかったし……。
推理の結果など寂しい男の独り言を暴く程度。悦に浸っていた自分が恥ずかしい。
そんな気持ちが渦巻いていた。
レンガ模様の塀は一般庶民の家を二つ分囲う程度に伸びており、鉄柵の向こうには二階建ての家が見える。
「ふう、なんでお金もちってこういう高い場所に家建てたいんでしょうね。こんなのメンドイだけじゃん」
額から流れる汗を拭き、ようやくたどり着いた正門前で愚痴る澪。彼女はインターホンを押し、対応に出た梓から入るように言われる。
「へー、意外と普通なんだね」
てっきり三階建てで池完備と思っていた真琴からすると、そんな感想であった。
けれど遠目に見える建物はやはり一般家庭を乖離しており、大理石仕立ての重厚な玄関とバーベキューができそうな広さをもつ中庭、クモリ一つ無い窓からは家の中の様子が見え、お手伝いらしき人がエプロン姿で掃除をしていた。
――真奈美さん、まだ働いていたんだ。やっぱり忘れられないのかな……。
かつての日記の内容を思い出しつつ、忘れるべきことであると意識を別に向ける。
手入れの行き届いた庭は色とりどりの花が咲き、澪は鼻をヒクヒクとさせていた。
玄関には大理石に似合わないインターホンがあり、澪は咳払いしてから鳴らす。
「はーい!」
中からは元気のよい声とどたどたという足音が近づいてきて、バーンと勢い良くドアが開く。
「きゃ! 危ないじゃない……」
飛び出してきた梓に澪は驚きの声を上げる。
「あ、梓さん?」
夏らしい淡い水色のチュニックは肩の辺りで止められており、肩と首周りから白い肌を見せている。少し膨らんだ胸元に影が出来そうなところを見ると、これから先、彼女も姉と同じくらいの成長をみせるのかもしれない。
「あら、真琴君も来てくれてたの? もう、それならもっとオシャレすればよかったかも……」
困ったように胸元を隠す梓に、澪は「隠すほど無いでしょ?」と半眼を向ける。するといつものように「澪よりはあるわよ」と切り返す。
その様子は夏休み前の教室で見た光景。
もしかしたら彼女は既に乗り越えたのだろうか? それとも二人に気を遣っての強がりなのか?
――僕は馬鹿だ。こんなこともわからないなんてさ……。
彼女が立ち直っていてほしいというのは、あくまでも真琴の都合の良い願望でしかないのだから……。
***
梓に案内され、二人は応接間に向う。
八畳程度の広さの部屋はフローリングの床で、柔らかそうなソファ、光沢の鈍いテーブルがあり、棚には今は亡き主の品がいくつか並んでいた。
部屋を掃除していた家政婦の野中愛美はやってきた真琴を見て一瞬寂しそうな顔をし、悟られまいとお辞儀で誤魔化す。
「愛美さん、お茶……んー、冷たい方がいいかな? アイスティーを三つお願いね」
「かしこまりました」
彼女は別荘にいたときのゴシックな洋装とは違い、ワイシャツとスラックスパンツ姿のカジュアルな格好だった。それでも豊満な胸元のはりは隠せず、つい横目で追いたくなる魅力があった。
「んーと、あのさ、真琴君には悪いんだけど、ちょっと澪を借りるね」
「え? あたしだけ?」
てっきり自分は真琴を呼ぶ餌だと思っていた澪は目を丸くして驚く。
「そうよ。っていうかアンタを呼んだんだけど?」
「まあそうだけど……、真琴、待っててね……」
「うん。わかった……」
――聞かれたくない話なのだろうか? いや、そんなの誰にでもあるよ。うん。
ソファに落ち着き、窓の外を眺める。
ガレージ付近には青い車があり、それは例の別荘で見たことのある車種である。
―-そういえば楓さん……。
「失礼するわ……、あら真琴君、君もいたの?」
「あ、理恵さん……こんにちは」
扉が開くとそこには久賀理恵が立っていた。
かつて弁護士と偽っていたお騒がせな人。そして真琴に性の手ほどきをした悪い女性。
続き
彼女を励ましてあげたいと思う一方、自分にそれができるのか不安がある。なぜなら真琴は梓の気持ちを知っているから。
彼女は自分を想い、自分は澪を想う……。
「でね、アタシ一人でいくのもあれだから、真琴にも来てもらおうと思ったの」
「うん。僕も梓さんに会いたいし、そのほうが……。さ、いこっか」
真琴は澪の手を引いて駆け出そうとする。
「あ、待ってよ真琴、そんな急がないで!」
なれないパンプスと丈の気になるスカートを翻し、澪もそれに続く。
言いかけた駆け足で遮る。それは彼が弱さを誤魔化すためのことで、澪はそれに気付くことも無かった。
***
代々続く資産家の家である真澄家は、小高い山の上にある。
この暑いなか坂を上るのは大変だが、周囲を見るのもそれなり非日常的な風景があり、軽いピクニック気分を楽しめた。
藤一郎氏が健在だったころは彼の運転する車で送られていたらしいが、今は自転車で坂を颯爽と駆けるお嬢様の姿がちらほらとか。
元気一杯の梓お嬢様。
真琴の前ではいつも猫を被っていたが、本当は学食の焼きそばパンが大好きな普通の十七歳。
だからこそ、不安だった。
彼女は暴漢によってレイプされ、その状況を複数の人間に目撃された。いくら表ざたにならなかったとはいえ、耐えがたい苦痛であったのは事実。
なにより、好きな人の前で……。
正直真琴は会うのが辛かった。
――なんて言えばいんだろ。元気ですか? ちがうなあ。だって僕、梓さんを助けてあげられなかったし……。
推理の結果など寂しい男の独り言を暴く程度。悦に浸っていた自分が恥ずかしい。
そんな気持ちが渦巻いていた。
レンガ模様の塀は一般庶民の家を二つ分囲う程度に伸びており、鉄柵の向こうには二階建ての家が見える。
「ふう、なんでお金もちってこういう高い場所に家建てたいんでしょうね。こんなのメンドイだけじゃん」
額から流れる汗を拭き、ようやくたどり着いた正門前で愚痴る澪。彼女はインターホンを押し、対応に出た梓から入るように言われる。
「へー、意外と普通なんだね」
てっきり三階建てで池完備と思っていた真琴からすると、そんな感想であった。
けれど遠目に見える建物はやはり一般家庭を乖離しており、大理石仕立ての重厚な玄関とバーベキューができそうな広さをもつ中庭、クモリ一つ無い窓からは家の中の様子が見え、お手伝いらしき人がエプロン姿で掃除をしていた。
――真奈美さん、まだ働いていたんだ。やっぱり忘れられないのかな……。
かつての日記の内容を思い出しつつ、忘れるべきことであると意識を別に向ける。
手入れの行き届いた庭は色とりどりの花が咲き、澪は鼻をヒクヒクとさせていた。
玄関には大理石に似合わないインターホンがあり、澪は咳払いしてから鳴らす。
「はーい!」
中からは元気のよい声とどたどたという足音が近づいてきて、バーンと勢い良くドアが開く。
「きゃ! 危ないじゃない……」
飛び出してきた梓に澪は驚きの声を上げる。
「あ、梓さん?」
夏らしい淡い水色のチュニックは肩の辺りで止められており、肩と首周りから白い肌を見せている。少し膨らんだ胸元に影が出来そうなところを見ると、これから先、彼女も姉と同じくらいの成長をみせるのかもしれない。
「あら、真琴君も来てくれてたの? もう、それならもっとオシャレすればよかったかも……」
困ったように胸元を隠す梓に、澪は「隠すほど無いでしょ?」と半眼を向ける。するといつものように「澪よりはあるわよ」と切り返す。
その様子は夏休み前の教室で見た光景。
もしかしたら彼女は既に乗り越えたのだろうか? それとも二人に気を遣っての強がりなのか?
――僕は馬鹿だ。こんなこともわからないなんてさ……。
彼女が立ち直っていてほしいというのは、あくまでも真琴の都合の良い願望でしかないのだから……。
***
梓に案内され、二人は応接間に向う。
八畳程度の広さの部屋はフローリングの床で、柔らかそうなソファ、光沢の鈍いテーブルがあり、棚には今は亡き主の品がいくつか並んでいた。
部屋を掃除していた家政婦の野中愛美はやってきた真琴を見て一瞬寂しそうな顔をし、悟られまいとお辞儀で誤魔化す。
「愛美さん、お茶……んー、冷たい方がいいかな? アイスティーを三つお願いね」
「かしこまりました」
彼女は別荘にいたときのゴシックな洋装とは違い、ワイシャツとスラックスパンツ姿のカジュアルな格好だった。それでも豊満な胸元のはりは隠せず、つい横目で追いたくなる魅力があった。
「んーと、あのさ、真琴君には悪いんだけど、ちょっと澪を借りるね」
「え? あたしだけ?」
てっきり自分は真琴を呼ぶ餌だと思っていた澪は目を丸くして驚く。
「そうよ。っていうかアンタを呼んだんだけど?」
「まあそうだけど……、真琴、待っててね……」
「うん。わかった……」
――聞かれたくない話なのだろうか? いや、そんなの誰にでもあるよ。うん。
ソファに落ち着き、窓の外を眺める。
ガレージ付近には青い車があり、それは例の別荘で見たことのある車種である。
―-そういえば楓さん……。
「失礼するわ……、あら真琴君、君もいたの?」
「あ、理恵さん……こんにちは」
扉が開くとそこには久賀理恵が立っていた。
かつて弁護士と偽っていたお騒がせな人。そして真琴に性の手ほどきをした悪い女性。
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