◆◇――◇◆
理恵に案内されてやってきたのは御前町と呼ばれる海沿いのリゾート地。
夏は御前海岸夏で海水浴、秋は後峠で紅葉狩り、冬は海産物を売りに忘年会に新年会を呼び込む。春には植林された桜がちらほら咲くらしく、一年中賑わいでいる。
「へー、綺麗な場所ですね……」
電車の外に見える大海原にため息をつく真琴。その隣では澪が車内販売の青みかんを頬張り酸っぱそうに口をすぼめる。
「うん。景色もいいし、それなりに遊べるわよ」
理恵の差し出すパンフレットには貸しボートやボード、キャンプセットなどが謳われており、かなり力が入っている。
昭和の中頃までは人気の少ない閑散とした町で、空気がよいことから療養所がある程度だった。しかし、道路整備に端を発し、ギャンブル好きの町長が町全体をレジャー化するという賭けに出た。その目論見が見事に当たり、今に至ったらしい。
「ふーん、どれどれ……」
真琴がパンフレットをみていると澪が横から手を伸ばし、それを奪う。代わりに食べかけのみかんをくれるが、食べようとすると膝を抓る。
「ふふふ、二人って仲がいいわね。本当に付き合ってないの?」
「ええ、あたしと真琴はただの幼馴染ですから」
澄ました顔で言う澪に切なさを覚える真琴。あの日、互いをお互いのモノと譲らなかったはずが、今はどうして関係を否定したがるのか?
遠くで聞こえるウミネコの鳴く声に耳を傾けながら、真琴は彼女の気持ちを量りかねていた。
***
御前駅からタクシーに乗り換え、目指す先はリゾートホネオリ。最初に理恵から聞かされたときはセンスを疑ってしまったが、「骨が折れるまで遊べるから」という説明にさらに頭をひねる結果となった。それ以降はあまり考えないように努めていたが、ペンションを見て不思議な感覚に囚われる。
太陽を背にした建物は二階建てで、白を基調とした外観はどちらかというと殺風景。
明治時代の水銀灯のような灯り、板張りの目立つ外観が時代を感じさせる。
入り口近くのポストには鶏の形をした風見鶏があるが、壊れているらしく風が吹いても反応しない。
近くのガレージに車が二台留まっているが、他は閑古鳥。
「もしかして、あんまり流行ってないとか?」
ついつい小声で言う澪に、理恵は笑いながら答える。
「今週は親族と従業員だけだからね、お客さんは君達ぐらいかな?」
「そうなんですか。でも稼ぎ時じゃないですか? 今って」
「そうらしいけど、でももともとそんなに人が入ってるわけじゃないし、それに叔父い様も趣味でやってるらしいから……」
趣味でペンション経営をするなど、庶民の感覚からすれば理解が追いつかない。
「理恵さんのおじいさんって何をしていた人なんですか?」
「んと、今も会社の社長ね。結構お金あるみたいだし……」
「へー」
真澄家別荘で理恵が他人の家ながら物怖じしなかったのは祖父の影響なのだろうか? といっても本人の家はあくまでも公務員の中流家庭。おそらく本人の生まれもっての性格なのかもしれない。
「やー、理恵。よく来てくれたな。ささ、早く早く……」
玄関前でたむろしていると急に扉が開き、着流し姿にロマンスグレーに髪を染めた老人がやってくる。
「お久しぶりですわ。久弥おじい様」
「うむ、また一段と美しくなったな。死んだばあさんを思い出すわい」
「イヤですわ、おばあ様にはとてもとても……」
久弥は足取り軽やかに理恵に駆け寄ると、手を取り合って再会を祝す。
「ん? やはり勝久は来ないか」
「ええ、仕事が忙しいらしく、母も……」
「何が忙しいじゃ、税金ドロボーのクセに偉そうに。まあいい、可愛い孫がきてくれたんじゃ、オマケは必要ないわい」
親不孝な息子には厳しくある会社社長だが孫には甘いらしく、顔が緩みっぱなしである。
「おっと、そちらのぼっちゃんじょうちゃんは?」
「はい、私のボーイフレンドです。葉月真琴君と、友達の香川澪さん」
息のように嘘を吐く理恵に驚きつつ、誤解されても困ると慌てる真琴。
「ちょっと理恵さん? いきなり何を言い出す……」
訂正を求める真琴だが、老人らしからぬ速度で久弥は彼に詰め寄る。
「ほうほう、君が理恵の……そうかそうか、まあなんだ、よろしく頼むが……」
一瞬目がキラりと光り、取った手に力が入る。
「悲しませるようなことがあれば、残念だが君にも不幸が訪れる」
口元は笑っているのに目は真剣そのもの。
「え、あ、いや……」
ひしひしと感じる握力に恐怖を覚えつつ、真琴はどうにかして誤解ととこうと必死になる。
「うふふ、冗談よ。彼は私の友達。ボーイフレンドは家の都合で来れなかったから代わりに来てもらったの」
「なんじゃ理恵、人が悪いのお」
「それにそっちの子が彼女さんだから、滅多なことは出来ないわ」
「ふむ、しかし、理恵よ。年下の男は若さがあるぞ。若さがあれば元気も出る。元気があればそれに越したことはないぞ」
「そういうものですかね……」
祖父の強引な空気に圧され気味の真琴はたじろぐばかりで、若さを根拠とする元気を出せずにいる。
「時に少年よ。年上の女はいいぞ。年上ならではの経験から君の若さを諌めてくれる。こんなんを前にして、君を支え導いてくれるのはきっと年上の女じゃろう」
「そうですか……」
隣にいる一つ年上の女を見るも彼女は我関せずを決め込み、似合わない麦藁帽子を弄っている。
「じゃが、理恵と付き合うなら覚悟をなされよ?」
「は、はい……」
――楓さん、大変そう……。
黒くまっすぐな瞳は老人の皮を被るやり手の企業戦士であると、真琴は再確認した。
***
玄関を入ってすぐにある受付はホテルのような開放感がなく、金融機関や駅の窓口に似ている。また内装も地味、というよりも無骨で人の集まるペンションという感じがない。
――気のせいかな?
妙な匂いがする。思い当たるのは理科準備室が一番近い。
「あ、いらっしゃいませ~こちらへどうぞ~」
奥のドアが開くと、ピンクのエプロン姿の従業員らしき女性が現れ、間延びした声で案内する。向こうからは引き立てのコーヒーの甘い香りが漂い、男性の話す声が聞こえてきた。
「あら、和弥おじ様に弥彦おじ様が来ていらしてたの……」
「うむ。まあ、少し残念じゃったがな……まあ、受験じゃしょうがない」
話を聞くに理恵以外の孫がこれなかったのだろう。だからこそ、理恵が来たことに喜んだのかもしれない。
「お久しぶりです。理恵です……」
丁寧にお辞儀をする理恵を見ていると、今までの奔放さが嘘のように思えてくる。もともとすらっとした長身と整えられた髪形のせいか真面目な印象が強く、猫を被ると綻びが見つからない。
――理恵さんてほんと悪い人だなあ……。
「相変わらずだな。理恵君」
眼鏡をかけた四十台半ばの男性は新聞を折りたたみ会釈する。ワイシャツにネクタイという企業戦士ないでたちの彼は、知的で物腰穏やかな印象がある。
「うふふ、何が相変わらずですか? 和弥おじ様」
「その態度さ」
どうやら見えないハズの大きな猫が和弥には見えているらしい。
「さあ? なんのことですか?」
上品に微笑む彼女が妙に薄ら寒い。
「理恵か。見ないうちに大きくなったなあ」
一方おでこが目立つ男性は少し大柄で、しきりにハンカチで汗を拭いている。こちらはポロシャツに無理してLサイズをはいているのかぱっつんぱっつんのズボンが可哀想。すこし間の抜けた印象があった。
「いやですわ。もうとっくに成長期は終わってますことよ」
「はは、悪い悪い。どうも君の小さい頃の事を知っているな……。初めてここで来たときは……」
「弥彦おじ様、それ以上はなしたら怒りますわよ?」
「はは、理恵を怒らせると怖いからな」
弥彦は薄くなった頭を掻きながら「怖い怖い」と口をつぐむ。
「理恵さんがどうしたんだろうね?」
「気になるね……」
格好良い女性、強い女性を表面的に体現している理恵のちょっとした話に真琴も澪も興味津々。
「ふむ、それはじゃな……」
昔話は老人の特権とばかりに子供のような笑顔の久弥がこっそり耳打ちする。
「そこ、余計なことに興味を持たない、話さない!」
しかし、理恵の地獄耳はそれを見逃さない。ぴしゃりといわれた久弥は肩を竦めて笑っていた。
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