▼▽――△▲
「で、いったい何がありましたの?」
しばらくして戻って来た理恵と澪。彼女達を迎えたのは公子の作る昼食とトドのように横たわる弥彦の姿。
驚いて当然の事態だが、青ざめた様子の澪はそれどころでも無いらしい。
「……むしろ澪に何があったの?」
今朝方とは様子が異なり、酒気の抜けた理恵ははつらつとして、逆に澪はよろよろと足取りもおぼつかない。
「ん、聞かないで……」
澪は近くにあったコップをとると、水をゴクゴクと飲み、一息つく。
「うん。実のところ私もよくわからないのだ。何故弥彦があんな場所にいたのか、怪我をしていたのか……、まあ本人もこの通り元気だから、じきに事故の経緯を聞かせてもらえるだろうがな」
「ふむ、弥彦よ、お前一体なにしとったんじゃ?」
「それがさ、突き落とされたんだよ。崖の上から……」
「「突き落とされた?」」
皆いっせいにざわめきだし、横たわる弥彦の元へと群がる。
「何時?」
「で、犯人は?」
「顔は見たのか?」
「どうしてあんな場所にいたんです?」
「崖から落とされて、そのあとは?」
「ま、待て待て、順番に順番に……」
矢継ぎ早に捲し立てられる弥彦はどれに答えてよいのかと慌てふためく。
「じゃあまず、何時のことです?」
順序だてて聞くべきと、真琴は紙にメモを取りながら聞く。
「昨日の夜なんだ」
「どうしてあんなところに?」
「ああ。昨日例の絵のことを調べている途中、ガレージの方で話し声が聞こえて、見に行ったら誰かが逃げるのを見つけたんだ」
「まさか不審者?」
眉間に皺を寄せながらどこかを見る理恵。
「多分な。で、追いかけていくうちに見失って、気付いたら崖だった」
「それで突き落とされたと」
「ええ? そんなことが?」
美羽の出すスパゲティを食べながらも聞き耳を立てていたらしく、文宏が驚いた声を上げる。
「ん? ああ」
意外なところからの突っ込みにキョトンとする弥彦達。彼らの視線にいたたまれなくなり、文宏は「ス
イマセン」と謝りながら食事に戻る。
「じゃあ、誰に?」
「それが、暗くて分からなかったんだ。それに、コンタクトも外れていたからな……」
外灯もなし、月の光も頼りにならない状況ではそれもしょうがないことかもしれない。
「岩場には自分で行ったんですか?」
「いや、体中、特に足が痛くて動けんかったわ」
弥彦は右足を見せようとして激痛に顔をしかめる。打ち身箇所十数の彼はところどころ内出血が見え、まだらな痣が出来ていた。
「そして気付いたらあの場所に運ばれていたと……なんとも不可解じゃな」
久弥は丁寧にそられた顎に触りながら首を捻る。
「念のため聞きますが犯人は一人ですか?」
ペンを止めて真琴が疑問を投げかける。
怪我をした弥彦を運んだのは和弥と文宏。それはあくまでもビニールボートで浮力を借りてのことで、陸に上がってからは真琴と公子も手伝った。
「弥彦叔父様を運ぶとしたら……、一人じゃむりじゃない?」
理恵は「無理よ」と言わんばかりに手を振りながら言う。
「多分複数じゃないかな……。あ、それと、もしかしたら勘違いかもしれないが、誰かが叫んでいるのを聞いたな……」
「それって犯人?」
「さあ……、今となってはどれも分からんよ」
突き落とされたという真実と要領を得ない証言。もともと捜査の素人である彼らは頭を捻るに終始してしまう。
「……でも命に別状がなくてよかったですね」
「ああ、君に感謝しているよ。本当にありがとう。あのとき崖の上で手を振る君を見たとき、神様はいるんだと思ったよ。これも日頃の行いか、それとも……」
長くなりそうな自分語りに、澪は「面倒なスイッチが入った」と思う。ただ、一方で幼馴染のお手柄に少しだけ鼻が高くもあった。
「なあ父さん、俺は弥彦を病院に運んでくるよ」
「うむ、そうじゃな」
和也は携帯電話と車の鍵を手に弥彦に肩を貸す。
「おい、兄貴、それは無いぜ、まだ絵の謎……」
「まだ言ってるのか? そんな何十年も前のもの、見つかりっこ無い……あ、いや、理恵達が探してくれるさ。それでいいだろ?」
父を前に言葉を間違えたと舌打ちする和弥。けれど当の久弥もそれは承知の範囲らしく、特に何も言わない。むしろ息子の怪我の方が思い出よりも大切なのだから。
「いや、そうじゃなくて、俺が見つけないと、ペンション……」
「あのなあ……」
こんなときにも相続のことをあきらめない彼に、和弥は複雑な表情で弟を見つめていた。
◆◇――◇◆
病院へ行くことが決まっても弥彦はかなり抵抗をしていた。仕方なしと和弥は彼の痛がる右足首を軽く蹴り、強引に車に乗せる。
後のシートに乗せられた彼はしょんぼりしながらも抵抗を止め、代わりに真琴を呼ぶ。
「……今回のこと、本当にありがとう。もし君が就職に困ったら是非ウチに来てくれ。悪いようにはしないし、そのころには俺が社長になっているからさ」
「何を言うとるか……」
半ば呆れ気味の久弥はまだあと十年は現役とばかりに杖無しに歩いてみせる。というか、今朝も杖を突かずに砂浜を散歩していたのだが……。
「はは、そうかもな。だが、絵のこと……頼むよ……そういうの抜きにさ……」
一瞬寂しそうになる弥彦に、彼が相続のためにだけ謎解きをしていたのではないと知る真琴。
「はい。分かりました」
薄い胸板を叩き再度調査に赴くことを誓う真琴に、弥彦は「よろしく」と目を瞑る。
続き
「……むしろ澪に何があったの?」
今朝方とは様子が異なり、酒気の抜けた理恵ははつらつとして、逆に澪はよろよろと足取りもおぼつかない。
「ん、聞かないで……」
澪は近くにあったコップをとると、水をゴクゴクと飲み、一息つく。
「うん。実のところ私もよくわからないのだ。何故弥彦があんな場所にいたのか、怪我をしていたのか……、まあ本人もこの通り元気だから、じきに事故の経緯を聞かせてもらえるだろうがな」
「ふむ、弥彦よ、お前一体なにしとったんじゃ?」
「それがさ、突き落とされたんだよ。崖の上から……」
「「突き落とされた?」」
皆いっせいにざわめきだし、横たわる弥彦の元へと群がる。
「何時?」
「で、犯人は?」
「顔は見たのか?」
「どうしてあんな場所にいたんです?」
「崖から落とされて、そのあとは?」
「ま、待て待て、順番に順番に……」
矢継ぎ早に捲し立てられる弥彦はどれに答えてよいのかと慌てふためく。
「じゃあまず、何時のことです?」
順序だてて聞くべきと、真琴は紙にメモを取りながら聞く。
「昨日の夜なんだ」
「どうしてあんなところに?」
「ああ。昨日例の絵のことを調べている途中、ガレージの方で話し声が聞こえて、見に行ったら誰かが逃げるのを見つけたんだ」
「まさか不審者?」
眉間に皺を寄せながらどこかを見る理恵。
「多分な。で、追いかけていくうちに見失って、気付いたら崖だった」
「それで突き落とされたと」
「ええ? そんなことが?」
美羽の出すスパゲティを食べながらも聞き耳を立てていたらしく、文宏が驚いた声を上げる。
「ん? ああ」
意外なところからの突っ込みにキョトンとする弥彦達。彼らの視線にいたたまれなくなり、文宏は「ス
イマセン」と謝りながら食事に戻る。
「じゃあ、誰に?」
「それが、暗くて分からなかったんだ。それに、コンタクトも外れていたからな……」
外灯もなし、月の光も頼りにならない状況ではそれもしょうがないことかもしれない。
「岩場には自分で行ったんですか?」
「いや、体中、特に足が痛くて動けんかったわ」
弥彦は右足を見せようとして激痛に顔をしかめる。打ち身箇所十数の彼はところどころ内出血が見え、まだらな痣が出来ていた。
「そして気付いたらあの場所に運ばれていたと……なんとも不可解じゃな」
久弥は丁寧にそられた顎に触りながら首を捻る。
「念のため聞きますが犯人は一人ですか?」
ペンを止めて真琴が疑問を投げかける。
怪我をした弥彦を運んだのは和弥と文宏。それはあくまでもビニールボートで浮力を借りてのことで、陸に上がってからは真琴と公子も手伝った。
「弥彦叔父様を運ぶとしたら……、一人じゃむりじゃない?」
理恵は「無理よ」と言わんばかりに手を振りながら言う。
「多分複数じゃないかな……。あ、それと、もしかしたら勘違いかもしれないが、誰かが叫んでいるのを聞いたな……」
「それって犯人?」
「さあ……、今となってはどれも分からんよ」
突き落とされたという真実と要領を得ない証言。もともと捜査の素人である彼らは頭を捻るに終始してしまう。
「……でも命に別状がなくてよかったですね」
「ああ、君に感謝しているよ。本当にありがとう。あのとき崖の上で手を振る君を見たとき、神様はいるんだと思ったよ。これも日頃の行いか、それとも……」
長くなりそうな自分語りに、澪は「面倒なスイッチが入った」と思う。ただ、一方で幼馴染のお手柄に少しだけ鼻が高くもあった。
「なあ父さん、俺は弥彦を病院に運んでくるよ」
「うむ、そうじゃな」
和也は携帯電話と車の鍵を手に弥彦に肩を貸す。
「おい、兄貴、それは無いぜ、まだ絵の謎……」
「まだ言ってるのか? そんな何十年も前のもの、見つかりっこ無い……あ、いや、理恵達が探してくれるさ。それでいいだろ?」
父を前に言葉を間違えたと舌打ちする和弥。けれど当の久弥もそれは承知の範囲らしく、特に何も言わない。むしろ息子の怪我の方が思い出よりも大切なのだから。
「いや、そうじゃなくて、俺が見つけないと、ペンション……」
「あのなあ……」
こんなときにも相続のことをあきらめない彼に、和弥は複雑な表情で弟を見つめていた。
◆◇――◇◆
病院へ行くことが決まっても弥彦はかなり抵抗をしていた。仕方なしと和弥は彼の痛がる右足首を軽く蹴り、強引に車に乗せる。
後のシートに乗せられた彼はしょんぼりしながらも抵抗を止め、代わりに真琴を呼ぶ。
「……今回のこと、本当にありがとう。もし君が就職に困ったら是非ウチに来てくれ。悪いようにはしないし、そのころには俺が社長になっているからさ」
「何を言うとるか……」
半ば呆れ気味の久弥はまだあと十年は現役とばかりに杖無しに歩いてみせる。というか、今朝も杖を突かずに砂浜を散歩していたのだが……。
「はは、そうかもな。だが、絵のこと……頼むよ……そういうの抜きにさ……」
一瞬寂しそうになる弥彦に、彼が相続のためにだけ謎解きをしていたのではないと知る真琴。
「はい。分かりました」
薄い胸板を叩き再度調査に赴くことを誓う真琴に、弥彦は「よろしく」と目を瞑る。
続き