帰り道は行きの爽快な坂道の分だけ辛く長い道のりになる。
さすがにお互い五キロのハンディをしょってまで競争をするつもりは無いらしく、里美は無口のままだった。
「ねえ……」
「なに?」
「なんでもない」
「そ」
また何も言えない。
いくら優柔不断でもこれはないのでは? ただ、一方で口にしてしまえば今より酷くなる気がした。先ほどの競争の商品のように。
――里美さんは俺を意識している。だからこそ買い物に誘ったし、キスを賞品にしたんだ。
確信に似た驕りも言い出せずにいるのは、彼女の、例え照れ隠しでも否定されるのが怖かったから。
「ねえ」
「何?」
「里美さんは何かない?」
「なんで?」
「だって、暑いし、気晴らしに話したいなって……」
「そうね……」
自転車を止めて何か考えるように斜め上を見る里美は、思い切ったように彼に詰め寄る。
「君がさっきから言いかけてたことが聞きたい」
「俺が……」
――そんな言い方卑怯だよ。それとも俺が意気地なしなのかな……。
「君と……会ってから、何も変わってないはずなのに……」
「そうかな? 色々あったと思うけど」
陸上部への入部に総体での出来事。日々彼女と話すことも増え、友達以上には……。
「んーん、あたし達はずっと止まったまんまだよ。今みたいに……ていうか、今日、今も」
「そんなこと……」
他の誰かとなら心の隙を抜かれるようにシテいた。けれど里美を前にすると言えない、触れない、デキないでいた。
それなのにいつの間にか悩みの種は芽吹いていた。
「ね、君ってさ……」
「俺?」
「なんでもない」
「ずるいよ」
「君の真似」
「俺の真似」
「そ、でも赦してあげる」
「なんで」
「あたしも怖いから」
「うん」
街路樹の陰に隠れるも風に揺れた木々の間からは不自然な距離の二人が見える。
それは二人だけが知っていれば良い事で、強いて言えばあと三日で潰えるセミにだけ見せていた……。
一人バスに揺られるのは寂しいもの。
特に合宿場に来る人など大学生ぐらいしかおらず、ほとんどは自転車、もしくはバイクだった。
――里美さんと……、しちゃった。
昨日の体験よりも淡く、時間にして数秒の行為。訪れる幸福感もそれほどでは無い。
けれど、鮮明だった。
香る汗とシトラスの匂い。
引き締まった上半身とカサカサなジャージ。
柔らかく、少し乾いていたそれ。
――それぐらい、それぐらいなのに……。
紀夫は降りる駅間近になっても握り締めた手と自分に残る感触にしばし時間を忘れていた。
すっかり乗り過ごしてしまった紀夫は家から一つ遠い駅でようやく下車し、そこから電車で戻るという面倒な手順を踏んでいた。
時計は既に午後七時。電車のタイムラグのおかげですっかり遅くなってしまい、携帯には母親からのメールが来ており、着信記録も一杯だった。
――母さんったら心配症だから。
彼の母親、島本夏江は彼同様考え込むタイプで、逆に父の島本隆一は奔放なタイプ。ひとまず話の分かりそうな父に合宿のことをメールで送り、返信を待つ。
しかし、ディスプレー右上には頼りない電池残量。あいにくのバッテリー切れにあい、返答は聞けずじまい。
公衆電話から連絡しようにも小銭は無く、千円札がある程度。
――仕方ない、急いで帰ろう……。
通りには会社帰りのサラリーマンが大勢おり、他にはこれから遊びに行く大学生が駅に向かい混雑そのもの。例によって例のごとく流されてしまう紀夫は再びあの苦い裏路地へとたどり着く。
――またかよ。でもま、先輩は……いない?
心配症は悪い癖と思いつつ周囲を見回すこと数回、ヒールの高い靴に苦戦する彼女を見つけたとき、怒りに似た感情が芽生えたのは事実だった。
続き
「なに?」
「なんでもない」
「そ」
また何も言えない。
いくら優柔不断でもこれはないのでは? ただ、一方で口にしてしまえば今より酷くなる気がした。先ほどの競争の商品のように。
――里美さんは俺を意識している。だからこそ買い物に誘ったし、キスを賞品にしたんだ。
確信に似た驕りも言い出せずにいるのは、彼女の、例え照れ隠しでも否定されるのが怖かったから。
「ねえ」
「何?」
「里美さんは何かない?」
「なんで?」
「だって、暑いし、気晴らしに話したいなって……」
「そうね……」
自転車を止めて何か考えるように斜め上を見る里美は、思い切ったように彼に詰め寄る。
「君がさっきから言いかけてたことが聞きたい」
「俺が……」
――そんな言い方卑怯だよ。それとも俺が意気地なしなのかな……。
「君と……会ってから、何も変わってないはずなのに……」
「そうかな? 色々あったと思うけど」
陸上部への入部に総体での出来事。日々彼女と話すことも増え、友達以上には……。
「んーん、あたし達はずっと止まったまんまだよ。今みたいに……ていうか、今日、今も」
「そんなこと……」
他の誰かとなら心の隙を抜かれるようにシテいた。けれど里美を前にすると言えない、触れない、デキないでいた。
それなのにいつの間にか悩みの種は芽吹いていた。
「ね、君ってさ……」
「俺?」
「なんでもない」
「ずるいよ」
「君の真似」
「俺の真似」
「そ、でも赦してあげる」
「なんで」
「あたしも怖いから」
「うん」
街路樹の陰に隠れるも風に揺れた木々の間からは不自然な距離の二人が見える。
それは二人だけが知っていれば良い事で、強いて言えばあと三日で潰えるセミにだけ見せていた……。
一人バスに揺られるのは寂しいもの。
特に合宿場に来る人など大学生ぐらいしかおらず、ほとんどは自転車、もしくはバイクだった。
――里美さんと……、しちゃった。
昨日の体験よりも淡く、時間にして数秒の行為。訪れる幸福感もそれほどでは無い。
けれど、鮮明だった。
香る汗とシトラスの匂い。
引き締まった上半身とカサカサなジャージ。
柔らかく、少し乾いていたそれ。
――それぐらい、それぐらいなのに……。
紀夫は降りる駅間近になっても握り締めた手と自分に残る感触にしばし時間を忘れていた。
すっかり乗り過ごしてしまった紀夫は家から一つ遠い駅でようやく下車し、そこから電車で戻るという面倒な手順を踏んでいた。
時計は既に午後七時。電車のタイムラグのおかげですっかり遅くなってしまい、携帯には母親からのメールが来ており、着信記録も一杯だった。
――母さんったら心配症だから。
彼の母親、島本夏江は彼同様考え込むタイプで、逆に父の島本隆一は奔放なタイプ。ひとまず話の分かりそうな父に合宿のことをメールで送り、返信を待つ。
しかし、ディスプレー右上には頼りない電池残量。あいにくのバッテリー切れにあい、返答は聞けずじまい。
公衆電話から連絡しようにも小銭は無く、千円札がある程度。
――仕方ない、急いで帰ろう……。
通りには会社帰りのサラリーマンが大勢おり、他にはこれから遊びに行く大学生が駅に向かい混雑そのもの。例によって例のごとく流されてしまう紀夫は再びあの苦い裏路地へとたどり着く。
――またかよ。でもま、先輩は……いない?
心配症は悪い癖と思いつつ周囲を見回すこと数回、ヒールの高い靴に苦戦する彼女を見つけたとき、怒りに似た感情が芽生えたのは事実だった。
続き