「こっち、こっちだよ!」
「はい!」
「ここを右で、あっちを左……」
裏道をこそこそとうろつく二人は徐々に人波からはずれ、寂しい路地へと紛れ込む。
その頃には警官らしき二人組みの姿も見えなくなっており、煌びやかなネオンが陰を潜め、代わりにピンクや紫の妖艶な雰囲気が目立ち始めていた。
「先輩、ここって……」
目に飛び込む看板には休憩、宿泊などといっしょに料金が書かれているが、それらはけしてビジネスホテルのものではない。さらに言うと先ほどからすれ違うカップルはどこか後ろめたそうで、彼らを見つけるやいなや野良猫同士が十字路ですれ違うように身体ごと視線をそむけていた。
「あ……ちょっとあれ……」
いきなり物陰に隠れる久恵は戸惑う紀夫の裾を引っ張り、少し歯馴れた場所にある建物を指差す。
特に飾った風でもない建物には例によって例のごとく休憩いくらの看板があるが、久恵が気にしているのは別にあるらしく、入り口近くにいる男女を指差す。
「あれ、井口先生じゃない?」
「井口?」
「君は知らない? ウチの学校の現国の……」
「ああ……」
紀夫は四月ごろの教員紹介で見た神経質そうな目がねの長身の男性教員を思い出す。
授業の運びかたはこれといって分かりやすいほどでもないが、たまに冗談とも分からない一言が、クラスに笑いと誤解を醸していたのを覚えている。
「あ、あれ?」
彼がラブホテルの入り口にいたとして、それは問題ではない。成人男性の正常な欲求と一人住まいの窮屈さからすれば当然の行為。
けれど隣にいる女子が問題だった。
縞模様のプリーツスカートに半そでブラウスはついこないだまで毎日見ていたもの。それに身を包むセミロングの女子こそ知らないものの、相手は相模原の……。
「あの子、相沢……さん?」
久恵は面識があるのか眉間に皺を寄せながら目を細めているが、彼女は振り返ることなく建物の中へと消える。
井口は一人腕を組んで考えていたようだが、寄り添うカップルを一組送ったあと、建物に消えた。
「……ゴクリ……ッ」
喉を鳴らして唾を飲み込む。
八月半ばの暑さにして口の中はからからのはずが、卑猥な驚きと下世話な好奇心が粘液質な唾液を促し、二人の口腔内を不愉快にさせた。
「……か、帰りましょう。なんか……なんか……」
――すごく嫌だから!
言葉には出来ない気持ち。顔中が熱く、嫌な汗がシャツに染み、卑猥な粘液がシクリと股間に滲む。
今まで気持ちを誤魔化し、流されるまま情愛を求めた彼の抱く気持ちは嫌悪。
見ないようにしていたのに、似つかわしくないのに、井口の行動が後悔にた気持ちをフィードバックさせる。
――俺は身勝手だ……けど! けど……。
「帰りましょう……」
そういいながらも紀夫は手を握り締め、動けずにいた。
指に食い込む爪は皮膚に食い込むだけで破ることはしない。
キリキリと歯を食いしばり、渇く目を瞬きさせずにアスファルトを見つめること数秒。
「うん……いいよ。私も帰ろうって思ってたから……」
空気を読むというよりは、彼女もきっと紀夫と同じことを感じていたのかもしれない。
返事もせずに歩き出す紀夫とそれについて歩く久恵。
二人の間にはおかしな連帯感と言いがかり的な怒りがある。
それが、妙な安心をくれた……。
なのに……。
先を急ぐ紀夫の耳に聞こえてきたのはドサリという音ところころと転がる音。振り向くと彼女がヒールの低い靴と転がる棒を見つめているのが見えた。
「ゴメン、歩けないや……」
「大丈夫ですか? 先輩……」
同じ気持ち、お互いに同情できる状況で、紀夫は彼女に手を差し伸べる。
「ありがとう。でも、動けそうに無いよ……」
「そうですか……」
もう一つのヒールは折れていない。けれどそれだけ。
「ねえ、休憩……しない?」
安易な誘いとささくれたつ心。そして乱暴な同情は……?
続き
その頃には警官らしき二人組みの姿も見えなくなっており、煌びやかなネオンが陰を潜め、代わりにピンクや紫の妖艶な雰囲気が目立ち始めていた。
「先輩、ここって……」
目に飛び込む看板には休憩、宿泊などといっしょに料金が書かれているが、それらはけしてビジネスホテルのものではない。さらに言うと先ほどからすれ違うカップルはどこか後ろめたそうで、彼らを見つけるやいなや野良猫同士が十字路ですれ違うように身体ごと視線をそむけていた。
「あ……ちょっとあれ……」
いきなり物陰に隠れる久恵は戸惑う紀夫の裾を引っ張り、少し歯馴れた場所にある建物を指差す。
特に飾った風でもない建物には例によって例のごとく休憩いくらの看板があるが、久恵が気にしているのは別にあるらしく、入り口近くにいる男女を指差す。
「あれ、井口先生じゃない?」
「井口?」
「君は知らない? ウチの学校の現国の……」
「ああ……」
紀夫は四月ごろの教員紹介で見た神経質そうな目がねの長身の男性教員を思い出す。
授業の運びかたはこれといって分かりやすいほどでもないが、たまに冗談とも分からない一言が、クラスに笑いと誤解を醸していたのを覚えている。
「あ、あれ?」
彼がラブホテルの入り口にいたとして、それは問題ではない。成人男性の正常な欲求と一人住まいの窮屈さからすれば当然の行為。
けれど隣にいる女子が問題だった。
縞模様のプリーツスカートに半そでブラウスはついこないだまで毎日見ていたもの。それに身を包むセミロングの女子こそ知らないものの、相手は相模原の……。
「あの子、相沢……さん?」
久恵は面識があるのか眉間に皺を寄せながら目を細めているが、彼女は振り返ることなく建物の中へと消える。
井口は一人腕を組んで考えていたようだが、寄り添うカップルを一組送ったあと、建物に消えた。
「……ゴクリ……ッ」
喉を鳴らして唾を飲み込む。
八月半ばの暑さにして口の中はからからのはずが、卑猥な驚きと下世話な好奇心が粘液質な唾液を促し、二人の口腔内を不愉快にさせた。
「……か、帰りましょう。なんか……なんか……」
――すごく嫌だから!
言葉には出来ない気持ち。顔中が熱く、嫌な汗がシャツに染み、卑猥な粘液がシクリと股間に滲む。
今まで気持ちを誤魔化し、流されるまま情愛を求めた彼の抱く気持ちは嫌悪。
見ないようにしていたのに、似つかわしくないのに、井口の行動が後悔にた気持ちをフィードバックさせる。
――俺は身勝手だ……けど! けど……。
「帰りましょう……」
そういいながらも紀夫は手を握り締め、動けずにいた。
指に食い込む爪は皮膚に食い込むだけで破ることはしない。
キリキリと歯を食いしばり、渇く目を瞬きさせずにアスファルトを見つめること数秒。
「うん……いいよ。私も帰ろうって思ってたから……」
空気を読むというよりは、彼女もきっと紀夫と同じことを感じていたのかもしれない。
返事もせずに歩き出す紀夫とそれについて歩く久恵。
二人の間にはおかしな連帯感と言いがかり的な怒りがある。
それが、妙な安心をくれた……。
なのに……。
先を急ぐ紀夫の耳に聞こえてきたのはドサリという音ところころと転がる音。振り向くと彼女がヒールの低い靴と転がる棒を見つめているのが見えた。
「ゴメン、歩けないや……」
「大丈夫ですか? 先輩……」
同じ気持ち、お互いに同情できる状況で、紀夫は彼女に手を差し伸べる。
「ありがとう。でも、動けそうに無いよ……」
「そうですか……」
もう一つのヒールは折れていない。けれどそれだけ。
「ねえ、休憩……しない?」
安易な誘いとささくれたつ心。そして乱暴な同情は……?
続き