「ああごめん、気づかなかった。どうしたんだいそれ、待ってて、今ハンカチ出すから……! わっ、冷て!」
茶色の液体が私の前でひざまずく彼の頭に落ちる。しょうがないよね。だって私の腕しびれてきちゃったんだしさ。
誰かさんが楽しそうにしてる間、ずっと持ってたせいで……。
「由香? どうしたんだい?」
どうしたですって? そんなのあなたの隣にいた人に聞けばいいじゃない。
「怒っちゃったのかな? ごめんよ」
笑顔で謝る彼を見ているとなんだかむなしくなる。だってその笑顔、彼女にも向けてたんでしょ?
「私帰ります」
「どうして急に……。あと5人なんだし、せっかく」
「帰ります」
怒ってるのになんかね。変な顔してると思うんだ。
「由香? ……うん、わかった。出ようか」
鼻でため息みたいにふうと息を吐くと、彼は私の手を強く握ってきた。
本当は振りほどきたかったけど、でもそんな力ない。
だってしびれちゃってたし。
**
私の家は駅から結構離れている。むしろ学校の方が近いけど、でも人の目があるしバス停とかで下ろしてもらえた方がいい。
でも車の向かう先はぜんぜん違う。明らかに遠回りだもの。いったいどこへ連れて行く気? かぼちゃの馬車ならお城でしょうけど、魔女はあなたの隣にいるのよ?
「先生、どこへ行くんですか?」
一駅先へ行ったところでようやく口をきいてあげた。
たしかこっちのほうは繁華街というか、桃色な町並みだったきがする。
もしかしてこのままホテルとか? そんな勇気あるの?
もしあるなら……見直してあげる。
それとも、いつもの手なのかしら?
「うん、おなか減ったからさ」
「おなか?」
お昼は場違いなレストラン。おやつは落っことしちゃったし、確かにおなかは減ってる。時間帯も時間だし、でもここってそういうところじゃないよね。
それとも私はあなたのフランクフルトを食べればいいの? そしてあなたは私を?
「ラーメン。手打ち麺なんだ。すごくおいしいの」
「ラーメン?」
「うん。週代わりでつくワンタンも手がこんでてさ」
「へえ」
なんか、正直がっかりだわ。
**
「おい……しい」
私は運ばれてきた塩ラーメンをすすった後、そうつぶやいた。
つれてこられたラーメン屋はいかにも老舗っていうか、どっちかというとうどん屋さんみたいないでたちで、ご主人さんもすごく愛想が悪い。その分奥さんらしき店員は笑顔をくれた。
そして井口が勧めるままに塩ワンタン麺を頼んだけど、スープはすごくあっさりしてて、細い麺なのに弾力のあるのがにくい。いつもならとんこつとかそういう系しか食べない私だけど、確かにおいしいわ。
「だろ? 僕、ここの店だけは自慢して勧められるんだ」
得意そうにいうけど、あくまでもお店がすごいんであって、努は関係ないからね?
「ワンタン、とろっとしてて、餡もえびとかしいたけとかすごく味が出ておいしいです」
「うん。ここのメインだからね」
あのレストランには悪いけど、やっぱり庶民にはこういう味のほうがいいな。
「僕はここをよく使うんだ。由香が気に入ってくれてうれしいよ」
「そうですか。でもいつも他の子とか誘ってんじゃないですか?」
おなかがいっぱいになったせいか、さっきのことを言うだけの余裕も生まれる。というか、一番気になってることだし。
「う~ん、実のところ、ここは由香にしか教えてないんだ。だってさ、ここのご主人……」
急に小声になり身を乗り出す彼に釣られ、私も前のめりになる。
「一日五十食ぐらいしか作らないんだ。ほとんど道楽みたいなものらしくてさ」
「へ~」
なるほど、誰かに教えたら食べられなくなるのね。それじゃあ話せないわね。
「でも、私が他の子に言うかもしれませんよ? ここ、すごくおいしいし」
「あ、そうか。ごめん由香、ここのことを忘れてくれ!」
努は大げさに手を合わせて謝るけど、なんかすごくかわいいかも。
「うふふ、いいですよ。でも、その代わりまた連れてきてくださいね」
「え? うん! いいよ! いつだって、それこそ毎日だって……」
毎日だとさすがに飽きるかも。いくらおいしくてもね。
「毎日って、先生毎日来てるわけじゃないでしょ?」
「あはは」
ん?
「井口さんはお得意様ですよ。今週だけで四回は……」
週に四回? それってどうなの?
「先生、自炊とかは?」
「してない」
「野菜とかは?」
「ジュース」
「それ、絶対からだに悪いですよ」
「そうだよね、はは」
照れたように笑うかれだけど、そこは照れるべきじゃない。むしろ反省なさいってば。
「もう、お昼はコンビニ弁当ばっかりだし……。それじゃいつか体壊しますよ? たまには自炊して栄養のバランスをとらないと」
「そうは言われても、そういうの苦手だし」
なんとなくわかる。こいつの場合、自炊しても好きなものしか食べそうにないし。
「誰か作ってくれる人っていないの?」
「さすがにこの年で母親を頼るのはなあ」
「彼女とかは?」
「いないよ」
いたら私なんか誘わないか。
「じゃあ、私が作ってあげましょうか?」
なんてね。
「ほんと? うれしいな!」
え?
「由香のお弁当、いつもってわけじゃないけど、たまに見るとおいしそうだったからさ」
なんかすごいうれしそう。ていうか、ラーメン伸びるよ?
「そ、そうですか。それならまあ、明日からでも……」
いまさら社交辞令ですなんていえないし、まあ一日ぐらいなら。
「でも悪いな。じゃあ材料代をださせてよ。相沢弁当屋でさ」
相沢弁当? なんか愛妻弁当って感じなのかしら?
「はぁ、それじゃあ何が食べたいですか?」
「えと、そうだね。ハンバーグかな」
「そんな、子供じゃないし。努はもっと野菜を食べないとだめ」
「野菜は苦手なんだ」
まるで子供みたいにしょげる彼。ふふふ、なんかほんと年上なのかしら? こんな人が担任で私の内申書大丈夫かしら? できれば推薦ほしかったんだけどね。
**
「それじゃあここで」
家よりちょっとだけ離れたところでおろしてもらった。
「家まで送ってあげたいけど……」
「私の家を探ってどうするつもりですか?」
名残惜しそうな努はまるで捨て猫みたいに私を見ている。けど、親に知られたら大変よね。世間的には担任と生徒なんだし。
「そうだ」
「何?」
「ピーマンは苦手なんだ」
「! ……だめです。明日はピーマンも入れます」
「由香は厳しいな」
「それじゃあ失礼しますね」
彼は私に手を振るとそのまま車を走らせた。私はそれを見送ってから思い切りわらっちゃった。
さて、明日はピーマンと豚肉の細切炒めにしようかな? きっとピーマン好きになれるからさ。
続き
「由香? どうしたんだい?」
どうしたですって? そんなのあなたの隣にいた人に聞けばいいじゃない。
「怒っちゃったのかな? ごめんよ」
笑顔で謝る彼を見ているとなんだかむなしくなる。だってその笑顔、彼女にも向けてたんでしょ?
「私帰ります」
「どうして急に……。あと5人なんだし、せっかく」
「帰ります」
怒ってるのになんかね。変な顔してると思うんだ。
「由香? ……うん、わかった。出ようか」
鼻でため息みたいにふうと息を吐くと、彼は私の手を強く握ってきた。
本当は振りほどきたかったけど、でもそんな力ない。
だってしびれちゃってたし。
**
私の家は駅から結構離れている。むしろ学校の方が近いけど、でも人の目があるしバス停とかで下ろしてもらえた方がいい。
でも車の向かう先はぜんぜん違う。明らかに遠回りだもの。いったいどこへ連れて行く気? かぼちゃの馬車ならお城でしょうけど、魔女はあなたの隣にいるのよ?
「先生、どこへ行くんですか?」
一駅先へ行ったところでようやく口をきいてあげた。
たしかこっちのほうは繁華街というか、桃色な町並みだったきがする。
もしかしてこのままホテルとか? そんな勇気あるの?
もしあるなら……見直してあげる。
それとも、いつもの手なのかしら?
「うん、おなか減ったからさ」
「おなか?」
お昼は場違いなレストラン。おやつは落っことしちゃったし、確かにおなかは減ってる。時間帯も時間だし、でもここってそういうところじゃないよね。
それとも私はあなたのフランクフルトを食べればいいの? そしてあなたは私を?
「ラーメン。手打ち麺なんだ。すごくおいしいの」
「ラーメン?」
「うん。週代わりでつくワンタンも手がこんでてさ」
「へえ」
なんか、正直がっかりだわ。
**
「おい……しい」
私は運ばれてきた塩ラーメンをすすった後、そうつぶやいた。
つれてこられたラーメン屋はいかにも老舗っていうか、どっちかというとうどん屋さんみたいないでたちで、ご主人さんもすごく愛想が悪い。その分奥さんらしき店員は笑顔をくれた。
そして井口が勧めるままに塩ワンタン麺を頼んだけど、スープはすごくあっさりしてて、細い麺なのに弾力のあるのがにくい。いつもならとんこつとかそういう系しか食べない私だけど、確かにおいしいわ。
「だろ? 僕、ここの店だけは自慢して勧められるんだ」
得意そうにいうけど、あくまでもお店がすごいんであって、努は関係ないからね?
「ワンタン、とろっとしてて、餡もえびとかしいたけとかすごく味が出ておいしいです」
「うん。ここのメインだからね」
あのレストランには悪いけど、やっぱり庶民にはこういう味のほうがいいな。
「僕はここをよく使うんだ。由香が気に入ってくれてうれしいよ」
「そうですか。でもいつも他の子とか誘ってんじゃないですか?」
おなかがいっぱいになったせいか、さっきのことを言うだけの余裕も生まれる。というか、一番気になってることだし。
「う~ん、実のところ、ここは由香にしか教えてないんだ。だってさ、ここのご主人……」
急に小声になり身を乗り出す彼に釣られ、私も前のめりになる。
「一日五十食ぐらいしか作らないんだ。ほとんど道楽みたいなものらしくてさ」
「へ~」
なるほど、誰かに教えたら食べられなくなるのね。それじゃあ話せないわね。
「でも、私が他の子に言うかもしれませんよ? ここ、すごくおいしいし」
「あ、そうか。ごめん由香、ここのことを忘れてくれ!」
努は大げさに手を合わせて謝るけど、なんかすごくかわいいかも。
「うふふ、いいですよ。でも、その代わりまた連れてきてくださいね」
「え? うん! いいよ! いつだって、それこそ毎日だって……」
毎日だとさすがに飽きるかも。いくらおいしくてもね。
「毎日って、先生毎日来てるわけじゃないでしょ?」
「あはは」
ん?
「井口さんはお得意様ですよ。今週だけで四回は……」
週に四回? それってどうなの?
「先生、自炊とかは?」
「してない」
「野菜とかは?」
「ジュース」
「それ、絶対からだに悪いですよ」
「そうだよね、はは」
照れたように笑うかれだけど、そこは照れるべきじゃない。むしろ反省なさいってば。
「もう、お昼はコンビニ弁当ばっかりだし……。それじゃいつか体壊しますよ? たまには自炊して栄養のバランスをとらないと」
「そうは言われても、そういうの苦手だし」
なんとなくわかる。こいつの場合、自炊しても好きなものしか食べそうにないし。
「誰か作ってくれる人っていないの?」
「さすがにこの年で母親を頼るのはなあ」
「彼女とかは?」
「いないよ」
いたら私なんか誘わないか。
「じゃあ、私が作ってあげましょうか?」
なんてね。
「ほんと? うれしいな!」
え?
「由香のお弁当、いつもってわけじゃないけど、たまに見るとおいしそうだったからさ」
なんかすごいうれしそう。ていうか、ラーメン伸びるよ?
「そ、そうですか。それならまあ、明日からでも……」
いまさら社交辞令ですなんていえないし、まあ一日ぐらいなら。
「でも悪いな。じゃあ材料代をださせてよ。相沢弁当屋でさ」
相沢弁当? なんか愛妻弁当って感じなのかしら?
「はぁ、それじゃあ何が食べたいですか?」
「えと、そうだね。ハンバーグかな」
「そんな、子供じゃないし。努はもっと野菜を食べないとだめ」
「野菜は苦手なんだ」
まるで子供みたいにしょげる彼。ふふふ、なんかほんと年上なのかしら? こんな人が担任で私の内申書大丈夫かしら? できれば推薦ほしかったんだけどね。
**
「それじゃあここで」
家よりちょっとだけ離れたところでおろしてもらった。
「家まで送ってあげたいけど……」
「私の家を探ってどうするつもりですか?」
名残惜しそうな努はまるで捨て猫みたいに私を見ている。けど、親に知られたら大変よね。世間的には担任と生徒なんだし。
「そうだ」
「何?」
「ピーマンは苦手なんだ」
「! ……だめです。明日はピーマンも入れます」
「由香は厳しいな」
「それじゃあ失礼しますね」
彼は私に手を振るとそのまま車を走らせた。私はそれを見送ってから思い切りわらっちゃった。
さて、明日はピーマンと豚肉の細切炒めにしようかな? きっとピーマン好きになれるからさ。
続き