境内で罰当たりな行為をしていたのは彼らのほかにも複数居たらしく、その中の逃げ遅れた面々へのお説教が走り去る二人背中に聞こえてきた。
「あーあ、驚いた」
「ほんとだよ。だからやめようっていったのに」
「いまさら何いってるのよ。それに、恋人同士の大切なイベントじゃない」
――恋人同士の大切なイベント?
もしかしたらが現実になる。その手がかり。その鍵となる行為を自分はクリアした。
――それなら……、里美さん!
暗がりで彼女の表情は見えない。けれどきっと彼女は笑ってくれるはず。
「俺、絶対に……」
道路を行く車のライトが二人を照らす。
そして言葉を飲み込む紀夫。
理由は彼女が今にも泣き出しそうだったから。
「……なかないでよ。里美さん」
「ないてないもん。まだないてないもん……、うぅ、うっ、ひぐ、だから、紀夫が変なこと言うから、へぐ、涙、止まらないよ……」
ぽろぽろと落ちる涙は砂利道に消える。なのに紀夫はただ黙ったまま、彼女を抱きよせることもできない。
「私、君のこと、最初、あんまり、そんな風に思ったりしてなかった。けど、なんか、頼ってて、私のわがまま聞いてくれて、褒めてくれたり、傘さしてくれたり、全部、なんか嬉しくて、他の子と仲良くしてるの見ると、なんか嫌な気持ちになるし、でも、君はマネジャーで、私だけの都合の良い人じゃない。それが、なんか我慢できなくて、だから、本当は、今日、ね、君と、君と特別な関係になりたいから、だから、がんばってきちゃったの……」
一気に胸の内側を吐き出す彼女は何度も息継ぎを繰り返し、できるだけ正確に言葉にしようと必死になる。
「うん、うん」
紀夫はというと、もう引き返せない関係に、始まることすらない関係に諦めに似た感想を抱き、半ば投げやりな風でもあった。
「下着とかね、お小遣いためて買ったんだよ。すごくかわいいフリルの着いてる奴。ブラもフロントホックで、君、多分外すとき鼻息荒くなるんじゃないかなって……」
彼女の目的は巾着の中にある、例のお守りが教えてくれる。
「浴衣もね、脱いでもちゃんと一人で着られるように練習したんだ。ほら、エッチなことするとやっぱり汚れちゃうじゃない。だから……」
今彼女が着ているそれも、裾の辺りが草むらに汚され、いくつかしみがみえる。
「でね、でね、君に初めてのことしてあげて、これからは私のこと、陸上とか勉強とかそういうのだけじゃなくて、二人で、支え、あって、ね……。やだ、まるで婚約みたい。そうじゃないよね。ただの恋人同士になりたいだけだもの。でも、なんか、やっぱり、誤解しないでね、君を責めてるとこもあるけど、私、意地っ張りだから、だから許せなくて、君が、君だけが悪いわけじゃないのにさ、どうしてかな。浮気されてたんじゃないのにね」
後ろめたさから何も反論できない紀夫。内側に沸き起こり始める新たな感情に戸惑うだけ。
もやもやする。どこかいらいら。そして乾いていく気持ち。
今でも、たとえふられているとしても彼女が好き。
そこに変わりはない。
けれど、抗いたい気持ちも無い。
彼女がその結果を選択するのは至極当然に思えたから? それとも、他に?
「ねえ、私のこと好き?」
「うん」
「なら、抱いてよ」
「だって」
「いいよ。だって君が助けてくれなかったらあいつらに奪われたものだもん」
「そんなヤケにならないでよ」
「ヤケになんてなってないよ。私だって君が好き。だから、一番最初は大好きな君としたい。エッチ、上手なんでしょ? だから、上手に私を愛して」
しばしの沈黙と、その後に訪れる雷鳴のごとき花火。東の空を色とりどりに染めていく。
七色に映し出される彼女の顔。そして、自分。
もう里美も泣いていない。まだ少し瞳は潤んでいるが、普段のきつめな目もおとなしくなり、何かをねだるように唇をゆっくり動かしている。
「え?」
何か聞こえたきがした。
轟音にまぎれても聞こえる、大切な人の声。
……すき……
「俺だって!」
今度こそ、ようやく彼女を抱きしめる紀夫であった……。
**――**
「こっち、こっちなら多分……」
浴衣姿の女子とジーパンTシャツの男子が夜の神社の裏手を練り歩く。
後ろでは花火がきらびやかに祭りの夜を演出しているというのに、二人は行く道にだけ気をとられ、振り返る余裕もない。
「紀夫、手」
「痛い?」
「んーん、もっときつく握ってよ」
十分に、目いっぱい握っている。だがそれでも足りない。それは自覚している。言われなくとも。これが最後になるのかもしれないのなら。きっと。
「ねえ、どこまで行くの?」
「邪魔されない場所。誰にも、絶対に……」
不安気につぶやく里美に紀夫は低い声で返すだけ。
奥まったらどこに出るのだろうか? 二人が愛し合える場所などあるのだろうか? いっそのことホテルでも?
そんな迷いもある。財布には昨日今日のバイト代があり、それなりに彼女をエスコートできる。なのに、なぜ?
神社から出られない、出てはいけない気がした。
理由はジンクス。
昨日まで知らなかったような恋人たちのはた迷惑な儀式。神社の鳥居を劣化させていくだけのそれが、彼を縛る。
もしここを出たらもう恋人には戻れない。
あの約束はここでのみ交わせたのだから。
「ねえ、あの木陰……」
立ち止まった里美が指差すほうには太い杉とそれに慕うように並ぶ樹木が見えた。
踏み鳴らされているというほどでもなく、それでも日陰をつくられているせいで雑草も少ない。これなら多少のおいたもできるはず。
「里美。行こうか」
「ん」
振り返らず、行く先を変更。里美はただそれに黙って着いていった。
続く