「ふむふむ。つまり、彼は特に里美ちゃんに気があるってわけでもないのね?」
「でも、俺に里美をどう思うって聞いてきたし、まったく無しってわけでもなさそうですよ?」
「そうかしら。そうかもね。うん、無いわけないよねぇ……」
しかめっ面からどこと無く頬がゆがむ彼女。
短い付き合いだが、気づいたことがある。
彼女の趣味。
もしかしたら、彼女は自分みたいなのが好きなのかもしれない。
いや、ただしくは、自分のような状況。
困っている。背反しそうな事象を背負っている。人に言えない悩みがある。
そういう火種となりうるものを背負っている人間が好みなのだろう。
「ふふ、まあいいわ。じゃあさ、君は引き続き、男子部員を見張ってなよ」
「見張ってろっつっても、もうオナニー大会なんかできませんよ」
「あら、そうなの?」
「だっておかずがないじゃないっすか。それに和彦はアレだし、真吾の奴も最近変だし」
本来被害の対象になりうる彼女にたいして言うべきことなのだろうか迷うが、どこかずれた感覚の先輩になら、そこまで気兼ねしないでいえる。
「そっか。まあ、そうかもね。じゃあさ、君、私の使う?」
「え?」
「あ、君は優ちゃんのだけだっけ? うふふ、残念ね」
本当に冗談なのだろうか? 笑いながら「先に部活にいくね」という彼女を、稔はしばし目で送る。
ふと気づいたことだが、欲望の対象に彼女の下着が見当たらなかった気がした。
**
併走してトラックを走るのは、相模原の陸上部に入部してから続く日課。
顧問の平山愛理の指導方針「自主性を重んじる」のおかげでできることだ。
「はっ、はっ、すぅ、すぅ」
吐く吐く、吸う吸う、を繰り返すのは中学の先生に教わった息継ぎ。水泳でもないのに息継ぎなど必要ないだろうと最初は笑っていたが、トラック十周を繰り返すうちに呼吸のリズムが大切なのだと理解できた。
「はあっ、はあっ、すぅー、すぅー」
にもかかわらず、隣を走るはずの幼馴染は妙に間延びしている。彼女なりにカスタマイズしているのかもしれないが、たまにペースが落ちることがある。
男女差といえばそうなるが、彼自身、そこまで陸上に熱がこもっているわけでもなく、むしろ彼女に合わせる自分にどこかうぬぼれを抱いてもいた。
「優、少し休むか?」
「んーん、大丈夫」
そういう優だが、ひゅーひゅーと息を繰り返しているのがわかる。
「だめだめ、休憩もトレーニングだし、ほら、行こう」
「だって、総体あるもん」
「来年があるさ。今がんばってもわくがないっつうの」
頭一個、背の低い彼女の頭をグシャグシャと揉みながら、少し伸びてきたかなと思う稔だった。
*-*
「ね、総体でさ、稔は出ないの?」
「俺は、だって、枠ないし」
「なんでよ。もう、せっかく応援してあげようと思ってるのに」
ベンチに座り、マネージャーの用意したスポーツドリンクを飲む優。
几帳面そうな彼が作ったそれは表示通りに薄められているらしく、優には少し味気なさそうに見える。
「ほら、あんな風にさ」
優の指差す方向にはポンポンをもった女子が数名。白いレオタードは入学式のころに見たことがあるが、一人恥ずかしそうに蹲る子は……どう見ても男子。
「そうだ、いいこと考えた。稔も参加しない? 私もやるし、一緒にやろうよ!」
「え? お、おい、優……、そうだ、俺、先輩から頼まれてたんだっけ。ごめんな、一緒にやれなくてさ!」
とりあえず逃げ出す稔。水分を取ったばかりの彼女はかつての指導者の言葉を信じ、きっと追いかけてこないだろう。
ただ、彼の人生で初、彼女に誘われて一緒に行えないことに、彼自身、少し悔やむところも……、こればかりは無かった。
続く