夏の頃に太陽の陽射しを遮っていた木々の葉も朱色に染まる。頬を撫でる風に冷たさを感じると、あれほど鬱陶しかった残暑すら懐かしい。
放課後の教室にも秋風が吹き込み、束ねられているカーテンをそっと揺らす。
桐嶋幸太は帰り支度や部活動に向かうクラスメートを見送りながら、一人窓の外が移り変わる様子を眺めてため息をつく。
丸顔に赤い唇、柔らかそうなホッペタと控えめな鼻。眉にかかるくらいの長さで切りそろえられた髪型からは栗が連想できる。背も低く、たまに小学生高学年と見間違われるほどだが、これでもれっきとした高校生の幸太。
第二次成長を迎えつつある彼は背も伸びず、髭も生える気配が無い。それどころか喉仏もあるのか判らないくらいで、声質もボーイソプラノの域に留まっている。
――木は偉いよね。夏はしっかり青々と生い茂って、秋になるとちゃんと赤くなるもん。やっぱり生きてるんだよね、成長してるんだよね……。
再びため息をついてしまうのは、まったく成長の兆しの見えない自身の体躯についてだ。
いや、実はもう一つ困ったこともあるのだが……、
「どうしたーコータ、もの思いに耽っちゃって……、あ、まさか女のこと考えてたんだろー。ヤラシインだー!」
黄昏時に憂える彼を現実に引き戻すアルトボイス。振り向くと満面の笑顔とツインテールが特徴的な同級生、倉沢里奈がいた。
「そんなんじゃないよ」
幸太は慌てて否定するが、里奈は面白そうに囃し立てる。
「なんだ? 女がどうしたってコウ?」
すると今度はハスキーボイスと一緒に、ジャージ姿の背の高い女子がやってくる。
「うん、コータ君は恋わずらいなのです! にっひひー」
「え、そうなのか? へー……、コウもそんな年頃か……」
背が高く、勝気なショートボブの女子がうんうんと頷く。
彼女の名前は赤城恵、幸太のクラスメートだ。
「ちょっとりっちゃん、変なこといわないでよ。恵も落ち着いて」
「いやいや、いいんだぞ、コウ。姉さんは応援する、コウの恋を」
姉さんといっても同い年。ただ、バスケ部所属、期待の新人とされる彼女は彼より頭一個分高く、並んで歩いているとたまに姉弟と見られることがある。
「で、誰なのー、コータ。知りたいなー、聞きたいなー、教えろよー、ケチー」
里奈は面白そうに彼の頭を撫でまわす。その様子はまるで室内犬を可愛がる飼い主にそっくりだ。
「だから、そういうんじゃなくて……。てか、僕はまだそういうの早いよ」
「なに言ってるんだ、しっかりしろー!」
モジモジしながら俯く幸太の背中を恵がバンと叩く。
「何するのさ、恵まで……」
背中を押さえながら少し涙目で恵を見る幸太。だが、恵はそんなことなどお構い無しに、腕を組むとおかしな持論を展開し始める。
「いいか? ウチの高校の男女比は二対八だぞ、二対八。コウからすれば選り取り見取りのえりすぐりだぞ? なのに、早いだあ? お前ちん○んついてるのかよ」
「ま、恵ったらちん……なんてやらしーんだ!」
わざとらしく口元に手を当てる里奈だが、恥ずかしがるというよりも、ただからかいたい様子。
確かに彼が今年の春に入学した相模原高校は今年から男女共学となったばかりで、先輩は女子のみ。また、昨今まで女子高であったせいもあり、志願者の多くが女子であった。
ちなみに何故幸太が相模原に入学したかというと、それは彼女達にあった。
里奈と恵は幸太に『中学卒業の記念に是非』などと訳のわからない理由でむりやり願書を書かせ、試験を受けさせた。さらには彼が進むつもりであった高校への願書を記入事項不備のまま提出させ、不受理にさせたのだった。
行く当てのなくなった彼に喜色満面で合格通知を届ける二人に、幸太は呆れながらもその行動力に感動すら覚えた。
思えば彼のこれまでの人生は全て彼女達が関わり、その全てを捻じ曲げられてきた。これから先もそうなると思うと、ため息はより濃く、深くなる。
「どんな奴を好きになったのか、姉さんに話してごらん」
ボーイッシュな恵は一言でいえば姉御肌。身体が小さいことでいじめの標的になっていた彼を守ってくれた。最近はいじめられることもなくなったが、まだまだひ弱な彼の世話を焼こうと、なにかと絡んでくる。
「にひひー、やっぱり可愛い系? それともスタイル系? どっち? やっぱりオッパイ大きいほうがいいよね?」
里奈はいつもニコニコしているが要注意。入学にまつわる企みは全て彼女差し金らしい。常に幸太をオモチャのように扱い、怒ろうとすると天使の笑顔で『ゴメンネ、ゴメンネ』とすがりつき、そしていつも騙されるのだった。
「ふーん、コウは胸が大きいほうが好きなんだ」
スタイルには自信有りな恵は最近さらに成長を続ける自分の胸元を抱きしめる。ブラウスの下ではきっと男子視線を引きずり込む魅力的な谷間が出来上がっているのだろう。
「可愛い系はどうかなー?」
幸太の前でしゃがみ込み、覗き込むような上目遣い、そして魅力的な赤い唇にひとさし指をあて、「どうかなー、どうかな」と甘く囁く里奈。
恋愛はまだ早いと自覚する幸太だが、二人の異性からそれぞれ別々の魅力を強調されると意識する気持ちも沸き起こる。
「二人とも……幸太ちゃんが困ってるじゃないの」
助け舟を出してくれたのもやはりクラスメートの相沢由香。彼女も幸太の友達なのだが、他の二人と比べてずっと常識があり、願書の件も協力はしなかった。
「あらあら、ユカリンも来ちゃった。ねえねえコータ、誰選ぶの?」
「由香ちゃん、助けてよ。二人ともしつこいんだよ」
「幸太ちゃん、好きな子いるの?」
頼みの綱は由香だけ。そう思った幸太だが、由香も年頃の女子らしく、恋愛話には目が無いらしい。急に顔を明るくさせると、興味津々という様子で手を合わせて目をかがやかせる。
「由香ちゃんまで……」
「でもな、コウ、男なら女の一人や二人好きになるもんだぞ?」
「だって、女の子……」
――わからないんだもん。
偽らざる彼の本心だ。もちろん彼は由香、里奈、恵を嫌っているわけではない。
共働きの両親を持つ彼らは子供の頃からよく一緒に遊んでいたし、夏休みも四人で海や山などレジャーに勤しんだ。
ただ、最近幸太の中で三人に対する意識が変わり、どこかぎこちなくなっているのも事実。里奈の言うように恋なのだろうかと思ったものの、三人に優劣をつけることも、ましてや特別な感情を抱いているとはどうしても思えなかった。いわゆる、姉弟のような感覚なのだ。
「なあ幸太、お前、セーツー終わってるよな?」
「え……セーツーって、そんな、当たり前じゃないか。やめてよ、恵」
女子に囲まれながら話したい内容でもなく、自然と声も縮こまる。
「だってさ、全然男臭くないし、背だって伸びないし……」
果たして精通の有無と関わるのかといえば疑問だが、これもため息の成分の一つだ。
「ねえねえケイチン、セーツーってなに?」
「セーツーってのはあれだ、ようするにコウが男の子から男になったっていうか、生理現象だな」
里奈が相変わらずとぼけた調子で聞いてくると、恵も言いづらそうに語尾を濁す。
「ふーん、なんかよくわかんないなー。ねー、ユカリンは知ってる? セーツー」
「へ、あ、んー、男の子じゃないからあんまり詳しくは……」
急に話題を振られた由香は恥ずかしそうに俯く。
「えー、だって大切なことなんでしょ? 皆知らなくていいの?」
「別にりっちゃんに関係することじゃないよ……」
「いや、そうとも限らないぞ。バカヤローな里奈だって年相応になれば彼氏だってつくるだろうし、結婚だってする。そのときに、男子の生理現象をまったく知らないっていうのは困るんじゃないか?」
「うんうん、困る困るー!」
妙な理論を展開する恵に里奈が続く。おかしな展開になりそうな空気に幸太は由香に助けを求めるが、彼女は頬に手を当てたまま、俯き加減でブツブツ呟いているだけ。
「なあコウ、今からさ、男子の生理現象について里奈に講義してあげたいと思うんだが、いいよな?」
「え、ヤダヨ。そんなの保健の授業でやってよ」
「だって体育の谷川、黒板授業嫌いだからって実技ばっかするもん。教えてくれないよー」
幸太は筋肉から生まれたと言われるほどの体育バカの谷川を恨めしく思いつつも、ここで彼女達の傍若無人な振る舞いに屈していては心の第二次成長は遠くなるばかり。
「やめてよ、二人とも! 僕だって怒るよ!」
幸太は自分でも驚くぐらいに声を荒げた。
里奈と恵は目をパチクリとしばたかせ、お互い顔を見合す。
続き
戻る

↑クリックしていただけると、FC2ブログランキングのポイントが加算されます。
放課後の教室にも秋風が吹き込み、束ねられているカーテンをそっと揺らす。
桐嶋幸太は帰り支度や部活動に向かうクラスメートを見送りながら、一人窓の外が移り変わる様子を眺めてため息をつく。
丸顔に赤い唇、柔らかそうなホッペタと控えめな鼻。眉にかかるくらいの長さで切りそろえられた髪型からは栗が連想できる。背も低く、たまに小学生高学年と見間違われるほどだが、これでもれっきとした高校生の幸太。
第二次成長を迎えつつある彼は背も伸びず、髭も生える気配が無い。それどころか喉仏もあるのか判らないくらいで、声質もボーイソプラノの域に留まっている。
――木は偉いよね。夏はしっかり青々と生い茂って、秋になるとちゃんと赤くなるもん。やっぱり生きてるんだよね、成長してるんだよね……。
再びため息をついてしまうのは、まったく成長の兆しの見えない自身の体躯についてだ。
いや、実はもう一つ困ったこともあるのだが……、
「どうしたーコータ、もの思いに耽っちゃって……、あ、まさか女のこと考えてたんだろー。ヤラシインだー!」
黄昏時に憂える彼を現実に引き戻すアルトボイス。振り向くと満面の笑顔とツインテールが特徴的な同級生、倉沢里奈がいた。
「そんなんじゃないよ」
幸太は慌てて否定するが、里奈は面白そうに囃し立てる。
「なんだ? 女がどうしたってコウ?」
すると今度はハスキーボイスと一緒に、ジャージ姿の背の高い女子がやってくる。
「うん、コータ君は恋わずらいなのです! にっひひー」
「え、そうなのか? へー……、コウもそんな年頃か……」
背が高く、勝気なショートボブの女子がうんうんと頷く。
彼女の名前は赤城恵、幸太のクラスメートだ。
「ちょっとりっちゃん、変なこといわないでよ。恵も落ち着いて」
「いやいや、いいんだぞ、コウ。姉さんは応援する、コウの恋を」
姉さんといっても同い年。ただ、バスケ部所属、期待の新人とされる彼女は彼より頭一個分高く、並んで歩いているとたまに姉弟と見られることがある。
「で、誰なのー、コータ。知りたいなー、聞きたいなー、教えろよー、ケチー」
里奈は面白そうに彼の頭を撫でまわす。その様子はまるで室内犬を可愛がる飼い主にそっくりだ。
「だから、そういうんじゃなくて……。てか、僕はまだそういうの早いよ」
「なに言ってるんだ、しっかりしろー!」
モジモジしながら俯く幸太の背中を恵がバンと叩く。
「何するのさ、恵まで……」
背中を押さえながら少し涙目で恵を見る幸太。だが、恵はそんなことなどお構い無しに、腕を組むとおかしな持論を展開し始める。
「いいか? ウチの高校の男女比は二対八だぞ、二対八。コウからすれば選り取り見取りのえりすぐりだぞ? なのに、早いだあ? お前ちん○んついてるのかよ」
「ま、恵ったらちん……なんてやらしーんだ!」
わざとらしく口元に手を当てる里奈だが、恥ずかしがるというよりも、ただからかいたい様子。
確かに彼が今年の春に入学した相模原高校は今年から男女共学となったばかりで、先輩は女子のみ。また、昨今まで女子高であったせいもあり、志願者の多くが女子であった。
ちなみに何故幸太が相模原に入学したかというと、それは彼女達にあった。
里奈と恵は幸太に『中学卒業の記念に是非』などと訳のわからない理由でむりやり願書を書かせ、試験を受けさせた。さらには彼が進むつもりであった高校への願書を記入事項不備のまま提出させ、不受理にさせたのだった。
行く当てのなくなった彼に喜色満面で合格通知を届ける二人に、幸太は呆れながらもその行動力に感動すら覚えた。
思えば彼のこれまでの人生は全て彼女達が関わり、その全てを捻じ曲げられてきた。これから先もそうなると思うと、ため息はより濃く、深くなる。
「どんな奴を好きになったのか、姉さんに話してごらん」
ボーイッシュな恵は一言でいえば姉御肌。身体が小さいことでいじめの標的になっていた彼を守ってくれた。最近はいじめられることもなくなったが、まだまだひ弱な彼の世話を焼こうと、なにかと絡んでくる。
「にひひー、やっぱり可愛い系? それともスタイル系? どっち? やっぱりオッパイ大きいほうがいいよね?」
里奈はいつもニコニコしているが要注意。入学にまつわる企みは全て彼女差し金らしい。常に幸太をオモチャのように扱い、怒ろうとすると天使の笑顔で『ゴメンネ、ゴメンネ』とすがりつき、そしていつも騙されるのだった。
「ふーん、コウは胸が大きいほうが好きなんだ」
スタイルには自信有りな恵は最近さらに成長を続ける自分の胸元を抱きしめる。ブラウスの下ではきっと男子視線を引きずり込む魅力的な谷間が出来上がっているのだろう。
「可愛い系はどうかなー?」
幸太の前でしゃがみ込み、覗き込むような上目遣い、そして魅力的な赤い唇にひとさし指をあて、「どうかなー、どうかな」と甘く囁く里奈。
恋愛はまだ早いと自覚する幸太だが、二人の異性からそれぞれ別々の魅力を強調されると意識する気持ちも沸き起こる。
「二人とも……幸太ちゃんが困ってるじゃないの」
助け舟を出してくれたのもやはりクラスメートの相沢由香。彼女も幸太の友達なのだが、他の二人と比べてずっと常識があり、願書の件も協力はしなかった。
「あらあら、ユカリンも来ちゃった。ねえねえコータ、誰選ぶの?」
「由香ちゃん、助けてよ。二人ともしつこいんだよ」
「幸太ちゃん、好きな子いるの?」
頼みの綱は由香だけ。そう思った幸太だが、由香も年頃の女子らしく、恋愛話には目が無いらしい。急に顔を明るくさせると、興味津々という様子で手を合わせて目をかがやかせる。
「由香ちゃんまで……」
「でもな、コウ、男なら女の一人や二人好きになるもんだぞ?」
「だって、女の子……」
――わからないんだもん。
偽らざる彼の本心だ。もちろん彼は由香、里奈、恵を嫌っているわけではない。
共働きの両親を持つ彼らは子供の頃からよく一緒に遊んでいたし、夏休みも四人で海や山などレジャーに勤しんだ。
ただ、最近幸太の中で三人に対する意識が変わり、どこかぎこちなくなっているのも事実。里奈の言うように恋なのだろうかと思ったものの、三人に優劣をつけることも、ましてや特別な感情を抱いているとはどうしても思えなかった。いわゆる、姉弟のような感覚なのだ。
「なあ幸太、お前、セーツー終わってるよな?」
「え……セーツーって、そんな、当たり前じゃないか。やめてよ、恵」
女子に囲まれながら話したい内容でもなく、自然と声も縮こまる。
「だってさ、全然男臭くないし、背だって伸びないし……」
果たして精通の有無と関わるのかといえば疑問だが、これもため息の成分の一つだ。
「ねえねえケイチン、セーツーってなに?」
「セーツーってのはあれだ、ようするにコウが男の子から男になったっていうか、生理現象だな」
里奈が相変わらずとぼけた調子で聞いてくると、恵も言いづらそうに語尾を濁す。
「ふーん、なんかよくわかんないなー。ねー、ユカリンは知ってる? セーツー」
「へ、あ、んー、男の子じゃないからあんまり詳しくは……」
急に話題を振られた由香は恥ずかしそうに俯く。
「えー、だって大切なことなんでしょ? 皆知らなくていいの?」
「別にりっちゃんに関係することじゃないよ……」
「いや、そうとも限らないぞ。バカヤローな里奈だって年相応になれば彼氏だってつくるだろうし、結婚だってする。そのときに、男子の生理現象をまったく知らないっていうのは困るんじゃないか?」
「うんうん、困る困るー!」
妙な理論を展開する恵に里奈が続く。おかしな展開になりそうな空気に幸太は由香に助けを求めるが、彼女は頬に手を当てたまま、俯き加減でブツブツ呟いているだけ。
「なあコウ、今からさ、男子の生理現象について里奈に講義してあげたいと思うんだが、いいよな?」
「え、ヤダヨ。そんなの保健の授業でやってよ」
「だって体育の谷川、黒板授業嫌いだからって実技ばっかするもん。教えてくれないよー」
幸太は筋肉から生まれたと言われるほどの体育バカの谷川を恨めしく思いつつも、ここで彼女達の傍若無人な振る舞いに屈していては心の第二次成長は遠くなるばかり。
「やめてよ、二人とも! 僕だって怒るよ!」
幸太は自分でも驚くぐらいに声を荒げた。
里奈と恵は目をパチクリとしばたかせ、お互い顔を見合す。
続き
戻る

↑クリックしていただけると、FC2ブログランキングのポイントが加算されます。