少し熱っぽいものの、早目に対処できたおかげで大事には至らなかった。
一週間ほど入院したあと、引き取り手のいないその子は暫定で平泉家に引き取られた。地元の豪農であるせいで特に誰も反対せず、またさせなかった。
土曜の昼間は父も母もいない。当然小作人などいないこのご時勢、正則の面倒はマオが見ることとなる。
夜鳴き、三時間ごとのおむつ交換、ミルクづくりと、マオはこの数日間、正則の世話を焼きっぱなしだった。
「大丈夫か? 俺が見とるからお前は休め」
野良仕事の合間を見て、寛司が来てくれる。
「大丈夫よ、これくらい……って、あ、わ、起きちゃった。もう、寛司が来るからよ!」
「俺のせいか? ……あわわ、おい、あ、ションベン」
よく見ると正則のオムツの側面がズレており、ちょろちょろと漏れている。
畳にぼたぼたと落ちる小水を新聞紙で受け、縁側に連れて行く。横に寝かせてオムツを脱がせ、ウェットティッシュで拭う。かぶれるといけないと、しっかりベビーパウダーをまぶす。しぶきが多少手にかかるも、マオは怯むことなく仕事をこなしていた。
「へー、さすが秀才さん。もう慣れたか?」
「うん。けど、やっぱり大変だよ」
オムツを替えてもらった正則は、寛司を見つめて手を振る。
「おお、ご機嫌じゃな、よし、たかいたかーい……」
寛司は正則の腋の下を掴み、放るように抱え上げる。その度に正則は楽しそうに笑った。
正座を崩し、少し楽にする。しばらくは寛司が見ていてくれるので、問題は無い。
マオはそのまま横になり、眠らないまでもうとうととする。
日の当たる午後、寛司と自分と赤ん坊。まるで新婚夫婦の昼下がりの平和で健やかな時間。
自分の描いていた未来とは正反対なものの、彼女はこれもありかと思い始めていた。
――あなた。
そういったら寛司はなんと応えてくれるだろう。
ちょっぴりイジワルな妄想も、心を擽ってくれる。
「おい、お前……」
――えっ! あたし、言葉に出したっけ?
心の中で呟いたハズの問いかけに応えた寛司に、マオはぱっと起き上がる。
「はいはいはい、なんでしょうか?」
「ん? マオじゃなくて正則にいったんじゃ」
「なんだ……そう……」
ほっとしながらも、どこかがっかりする。本当は少しだけママゴトに付き合ってもらいたかった。
「そういやミルクは?」
「あ、えと、そうだ、作ってなかった」
「そか、んなら俺が作ってくるわ。正則はママの方が好きみたいじゃしな」
彼はそういって正則をおろすと、他人の家にもかかわらずそそくさと台所に移動する。
「な、誰がママよ!」
その後姿に、マオは照れ隠しの大声を浴びせた。
~~
「なんじゃ、あんまり飲まないな」
「うん。なんかダメなんだよね」
寛司がせっかく作ってきたミルクだが、正則はぷいっと顔を背けると、それを拒む。ここ数日、何故か食事のときだけ機嫌が悪い。
ミルクの作り方が問題なのかと、温度を変えてみたりと試すも、全て徒労に終わる。しかも、何とか飲ませてもあまり量を飲んでくれない。そのため、回数で飲ませていた。
「なんでだろう。正則、ちゃんと飲まないと大きくなれないよ」
「ほうだぞ、マオみたいにチンチクリンになるで?」
「寛司みたいにバカになっちゃうぞ」
「うっさいわ」
「そっちこそ」
「なんだと」
「なによ」
「んぎゃぁ、んぎゃぁ!」
新婚夫婦のつまらないさし合いに正則はギャーギャーとクレームをつける。
「あわわ、ほらほら、なかないで、ミルクのんでねー」
「ホラホラいいこいいこ。正則はいい子ですね」
慌ててとりなそうにも、正則は火がついたように暴れだし、二人を困らせる。
オムツの交換で芽生えた自尊心もすぐに萎えてしまい、八木のばあさんの顔が浮かんでくる。
「ね、どうしよ」
「しらんがな。八木のばあさん呼んでくるか?」
「無理。確か老人会で温泉行ってるし……。やっぱりお母さんじゃなきゃダメなのかな」
「かもな」
この泣き声は母を慕うもの。そう思うと切なくなり、そして悔しくなる。
ここ最近ずっと尽くしっぱなしのマオは、自分がどれだけ正則を大切にしていたのかと、それを言いたかった。
――まだ赤ん坊だもん。しょうがないよね。
彼女はこみ上げた怒りを飲み込み、息をつく。そして、あることを思いつく。
「ね、あたし、いいこと思いついた!」
それは果たして……?
続く
土曜の昼間は父も母もいない。当然小作人などいないこのご時勢、正則の面倒はマオが見ることとなる。
夜鳴き、三時間ごとのおむつ交換、ミルクづくりと、マオはこの数日間、正則の世話を焼きっぱなしだった。
「大丈夫か? 俺が見とるからお前は休め」
野良仕事の合間を見て、寛司が来てくれる。
「大丈夫よ、これくらい……って、あ、わ、起きちゃった。もう、寛司が来るからよ!」
「俺のせいか? ……あわわ、おい、あ、ションベン」
よく見ると正則のオムツの側面がズレており、ちょろちょろと漏れている。
畳にぼたぼたと落ちる小水を新聞紙で受け、縁側に連れて行く。横に寝かせてオムツを脱がせ、ウェットティッシュで拭う。かぶれるといけないと、しっかりベビーパウダーをまぶす。しぶきが多少手にかかるも、マオは怯むことなく仕事をこなしていた。
「へー、さすが秀才さん。もう慣れたか?」
「うん。けど、やっぱり大変だよ」
オムツを替えてもらった正則は、寛司を見つめて手を振る。
「おお、ご機嫌じゃな、よし、たかいたかーい……」
寛司は正則の腋の下を掴み、放るように抱え上げる。その度に正則は楽しそうに笑った。
正座を崩し、少し楽にする。しばらくは寛司が見ていてくれるので、問題は無い。
マオはそのまま横になり、眠らないまでもうとうととする。
日の当たる午後、寛司と自分と赤ん坊。まるで新婚夫婦の昼下がりの平和で健やかな時間。
自分の描いていた未来とは正反対なものの、彼女はこれもありかと思い始めていた。
――あなた。
そういったら寛司はなんと応えてくれるだろう。
ちょっぴりイジワルな妄想も、心を擽ってくれる。
「おい、お前……」
――えっ! あたし、言葉に出したっけ?
心の中で呟いたハズの問いかけに応えた寛司に、マオはぱっと起き上がる。
「はいはいはい、なんでしょうか?」
「ん? マオじゃなくて正則にいったんじゃ」
「なんだ……そう……」
ほっとしながらも、どこかがっかりする。本当は少しだけママゴトに付き合ってもらいたかった。
「そういやミルクは?」
「あ、えと、そうだ、作ってなかった」
「そか、んなら俺が作ってくるわ。正則はママの方が好きみたいじゃしな」
彼はそういって正則をおろすと、他人の家にもかかわらずそそくさと台所に移動する。
「な、誰がママよ!」
その後姿に、マオは照れ隠しの大声を浴びせた。
~~
「なんじゃ、あんまり飲まないな」
「うん。なんかダメなんだよね」
寛司がせっかく作ってきたミルクだが、正則はぷいっと顔を背けると、それを拒む。ここ数日、何故か食事のときだけ機嫌が悪い。
ミルクの作り方が問題なのかと、温度を変えてみたりと試すも、全て徒労に終わる。しかも、何とか飲ませてもあまり量を飲んでくれない。そのため、回数で飲ませていた。
「なんでだろう。正則、ちゃんと飲まないと大きくなれないよ」
「ほうだぞ、マオみたいにチンチクリンになるで?」
「寛司みたいにバカになっちゃうぞ」
「うっさいわ」
「そっちこそ」
「なんだと」
「なによ」
「んぎゃぁ、んぎゃぁ!」
新婚夫婦のつまらないさし合いに正則はギャーギャーとクレームをつける。
「あわわ、ほらほら、なかないで、ミルクのんでねー」
「ホラホラいいこいいこ。正則はいい子ですね」
慌ててとりなそうにも、正則は火がついたように暴れだし、二人を困らせる。
オムツの交換で芽生えた自尊心もすぐに萎えてしまい、八木のばあさんの顔が浮かんでくる。
「ね、どうしよ」
「しらんがな。八木のばあさん呼んでくるか?」
「無理。確か老人会で温泉行ってるし……。やっぱりお母さんじゃなきゃダメなのかな」
「かもな」
この泣き声は母を慕うもの。そう思うと切なくなり、そして悔しくなる。
ここ最近ずっと尽くしっぱなしのマオは、自分がどれだけ正則を大切にしていたのかと、それを言いたかった。
――まだ赤ん坊だもん。しょうがないよね。
彼女はこみ上げた怒りを飲み込み、息をつく。そして、あることを思いつく。
「ね、あたし、いいこと思いついた!」
それは果たして……?
続く