たまにすれ違うおばあさんが「若いママさんね」というので、二人は顔を真っ赤にさせて俯いてしまう。
「えっと……、行ってくるね」
「ああ、行って来い」
「電話するね」
「ああ」
「手紙書くよ」
「わし、筆遅いぞ」
「……」
「……」
他にもいっぱい話したいことがある。なのに、寛司もマオもどちらも唇が重い。
「……止めないの?」
先に口を開いたのはマオ。反対側のホームで電車が出たとき、別れを予感して勇気が出た。
「マオは俺を張り飛ばしてでもいく。だから好きじゃ」
彼女は東京の大学に合格した。
最後まで反対していた彼女の父だが、正則を正式に養子として迎えたので、彼女に跡取りとしても未練は無い。もっとも、彼女の旅立ちの前日は飲めない酒を一升瓶で開けてしまい、今も布団の中で喘いでいるはずだ。
「そう……寂しいな」
――連れ去ってなんて言えないよ。
寛司とはあの日の一度だけ。
ピロートークのとき、マオの「私は行く」の宣言に、彼は「愛してるから」と了承した。ただ、彼に教えられた女は、もう一度あの日の熱情に触れたかったのだ。
「けどな……正則。こいつはママがほしいんじゃな」
「まーま、まーま」
「ママじゃないよ。マオだよ」
甲高い警笛が鳴らされると、もうお別れ。マオは小さめのリュックに詰まった荷物を大切そうに抱え、電車の奥へと引っ込む。
「それじゃね!」
最後は笑顔で別れたい。だから笑った……はずが、
「邪魔だぞ、入り口に立っていると」
何故か一緒に乗り込む寛司は、正則を彼女の母親に渡す。
「え? え?」
「それじゃあ寛司君、マオをよろしくね。悪い虫がつかないように見張っててね」
「はい、おばさん。任せてください」
「ちょっと、どういう事?」
「しっとるか? 東京の大学には農業科ってのがあるんじゃ。これからの農業の発展の為には、学が必要じゃからな」
「嘘、だって」
信じられないという表情のマオに、寛司は「合格通知」と書かれた紙を見せる。
「俺だってやるときはやるんじゃ。つまり、まあ、そういうことじゃな」
彼は不器用そうにウインクをすると、正則に向かって手を振った。
寛司は乗降口の隅っこ二人分のスペースを作り、これから始まるであろう新生活を思い、目を瞑る。マオも彼の肩にそっと寄り添うと、規則正しい息をする彼の鼻をつまみ、目を瞑った。
もっとも、彼女の見る夢は、あの日の続き、さんさんと輝く日の下で正則にたかいたかいをしてあやす彼と、それを優しく見つめる自分の姿。
それはあと四年ほど遠い未来だが……。
神社の裏で 完