最初こそ落ち込んでいる彼を慰めてあげようと思っていた彼女だが、家に近づくにつれ、ふつふつと怒りがこみ上げていた。
――もう、いくら打てなかったからっていつまでも女々しいのよ。そんなに悔しいなら今からでもがんばって来年甲子園で優勝すればいいじゃない! まったく!
練習に励む他の部員を思うと当然といえるもの。そもそも野球は個人戦ではない。あの場面は皆の健闘の結果。
部一の天才スラッガーといわれたところで、彼一人がゲームを作るわけでもない。
全ては積み重ね。
その結果なのだから。
――がつんと言ってやらないとね! あたしだって優しくて天使のように可愛らしくて気の利くマネージャーだけじゃいられないし!
胸の前で拳を握り締め、一呼吸おいてからチャイムを鳴らす。
『……はい、池澤です』
「こんにちは! マネージャーの多摩川です!」
『……あ、なんだよ、今体調悪いから……』
「はいはい、仮病は病院でしてくださいね! よっと」
ドアノブをひねるとズーとさび付いた音を立てて開く。
そして現れた暗い顔のスラッガーを柚子はきっと睨みつける。
「アンタねえ、いい? みんなもう練習してるのよ? あんたうちの野球部の三番でしょ? 今期何点とってるのよ、みんなアンタに期待してるのよ? なのになにその顔、だっさー」
ぷぷっと吹く仕草をしつつ、相手の出方を見極める柚子。
普段の負けん気の強い彼ならきっと言い返してくるはず。少なくとも年下の女子に言われて我慢ができるはずがない。
「そう、そうか……、俺、おれ……」
しかし、予想に反し博之はその場にへたり込む。
「俺、俺……っ……っ」
何かを我慢する撥音。
そして、床にこぼれる涙。
「ちょっと、池澤先輩?」
未だ立ち直れない三番バッターは涙を流して蹲っていた。
――
蹲る彼に肩を貸し、彼の部屋へと連れて行く。
彼の部屋はカーテンが締め切られており、日の光が遮られていた。ただ、たまに吹く風がそれを揺らしていた。
ベッドにはぬくもりがあり、脇には五キロと書かれたグリップがある。もう片方には硬球があり、握っていたのかやはり暖かい。
本棚には野球関連本と野球選手のフォームがコマ送りになっているようなポスターがあり、年代モノの木製バットのグリップは薄く汚れている。
――さすが高校球児の部屋ね。
寝ていたというが、状況から察するに野球から目を背けることができないのだろう。それはつまり、彼が良い意味であがいている証拠。
「俺が、先輩たちの、三年間だめにして、それが、それで……」
彼はベッドに座ると、また深く俯いてしまった。
もう柚子に彼を責める気持ちは無かった。
叱咤激励はこの場合、あまり功を弄さないだろう。もう立ち上がりかけている彼なのだし、手を差し伸べてあげたい。そう思えた。
「何も言わなくて良いですよ。ね?」
自分より頭ひとつ高い彼。いつも「男らしい男」を演じている彼がワンワン泣き喚く姿が新鮮だった。
本当はしかりつける。もしくは殴り飛ばすつもりでいた。
女々しい男などいらない。山陽高校ナインに必要ないと……。
けれど、彼の涙を見たあとで選んだ行動は彼を抱きしめ、そして包むことだった。
――なんかかわいいかも。
そんな気持ちで。
「……ありがと、マネージャー……いや、柚子さん」
「え? あ、ああ、はい、平気ですよ。っていうか、マネージャーですもの、部員のメンタルケアだってしますってば」
むくりと起き上がる彼の目はまだ赤いものの、涙は止まっていた。
彼もまた大舞台で活躍してきた一人。弱い子なはずがない。きっともう平気。
そう思えた……、
「柚子さん?」
「えへへ……」
ら、どこか悔しくなった。
だから彼を押し倒した。
博之は突然のことにきょろきょろと視線を動かす。その仕草は野球場の戦士の目ではない、等身大の高校生。
「先輩の後姿、セクシーでしたよ」
いがぐり頭と細い目、整った鼻。確実にイケメンに属する博之には試合の度に黄色い声援が送られていたのを覚えている。
そしてそれを無碍に扱い、怒りの視線を投げられたのも。
恋愛感情が無いとはいわない。けれど、特別に意識してこなかった。
だから自分自身驚いている。なぜこのような大胆な行為に出たのか?
「暑いですね、この部屋……」
ブラウスに手をかけ、第二ボタンまで外す。
「柚子? おい、そんな、別に俺は、そんなことをしてもらいたいんじゃ……」
「先輩、キスしたことある?」
「あ、ああ」
彼を見下ろし、おなかの上に座る。
日々筋トレにいそしむ彼の身体に弛みはなく、がっしりとしてたくましい。
「かっこいいですね、先輩の……身体。すごい筋肉、すごい、割れてるよ、腹筋」
シャツの隙間から忍び込む柚子の指先が彼の肌をくすぐる。
「柚子?」
「いいの。今だけは任せて。先輩のこと、元気にさせるおまじないだから……」
「もういいよ。大丈夫。俺はもう元気だよ……」
「ウソ。まだ泣いてるもん」
微笑ながら目じりに触れる柚子。その手は乾いた涙の塩をぱらぱらと払う。
続く
練習に励む他の部員を思うと当然といえるもの。そもそも野球は個人戦ではない。あの場面は皆の健闘の結果。
部一の天才スラッガーといわれたところで、彼一人がゲームを作るわけでもない。
全ては積み重ね。
その結果なのだから。
――がつんと言ってやらないとね! あたしだって優しくて天使のように可愛らしくて気の利くマネージャーだけじゃいられないし!
胸の前で拳を握り締め、一呼吸おいてからチャイムを鳴らす。
『……はい、池澤です』
「こんにちは! マネージャーの多摩川です!」
『……あ、なんだよ、今体調悪いから……』
「はいはい、仮病は病院でしてくださいね! よっと」
ドアノブをひねるとズーとさび付いた音を立てて開く。
そして現れた暗い顔のスラッガーを柚子はきっと睨みつける。
「アンタねえ、いい? みんなもう練習してるのよ? あんたうちの野球部の三番でしょ? 今期何点とってるのよ、みんなアンタに期待してるのよ? なのになにその顔、だっさー」
ぷぷっと吹く仕草をしつつ、相手の出方を見極める柚子。
普段の負けん気の強い彼ならきっと言い返してくるはず。少なくとも年下の女子に言われて我慢ができるはずがない。
「そう、そうか……、俺、おれ……」
しかし、予想に反し博之はその場にへたり込む。
「俺、俺……っ……っ」
何かを我慢する撥音。
そして、床にこぼれる涙。
「ちょっと、池澤先輩?」
未だ立ち直れない三番バッターは涙を流して蹲っていた。
――
蹲る彼に肩を貸し、彼の部屋へと連れて行く。
彼の部屋はカーテンが締め切られており、日の光が遮られていた。ただ、たまに吹く風がそれを揺らしていた。
ベッドにはぬくもりがあり、脇には五キロと書かれたグリップがある。もう片方には硬球があり、握っていたのかやはり暖かい。
本棚には野球関連本と野球選手のフォームがコマ送りになっているようなポスターがあり、年代モノの木製バットのグリップは薄く汚れている。
――さすが高校球児の部屋ね。
寝ていたというが、状況から察するに野球から目を背けることができないのだろう。それはつまり、彼が良い意味であがいている証拠。
「俺が、先輩たちの、三年間だめにして、それが、それで……」
彼はベッドに座ると、また深く俯いてしまった。
もう柚子に彼を責める気持ちは無かった。
叱咤激励はこの場合、あまり功を弄さないだろう。もう立ち上がりかけている彼なのだし、手を差し伸べてあげたい。そう思えた。
「何も言わなくて良いですよ。ね?」
自分より頭ひとつ高い彼。いつも「男らしい男」を演じている彼がワンワン泣き喚く姿が新鮮だった。
本当はしかりつける。もしくは殴り飛ばすつもりでいた。
女々しい男などいらない。山陽高校ナインに必要ないと……。
けれど、彼の涙を見たあとで選んだ行動は彼を抱きしめ、そして包むことだった。
――なんかかわいいかも。
そんな気持ちで。
「……ありがと、マネージャー……いや、柚子さん」
「え? あ、ああ、はい、平気ですよ。っていうか、マネージャーですもの、部員のメンタルケアだってしますってば」
むくりと起き上がる彼の目はまだ赤いものの、涙は止まっていた。
彼もまた大舞台で活躍してきた一人。弱い子なはずがない。きっともう平気。
そう思えた……、
「柚子さん?」
「えへへ……」
ら、どこか悔しくなった。
だから彼を押し倒した。
博之は突然のことにきょろきょろと視線を動かす。その仕草は野球場の戦士の目ではない、等身大の高校生。
「先輩の後姿、セクシーでしたよ」
いがぐり頭と細い目、整った鼻。確実にイケメンに属する博之には試合の度に黄色い声援が送られていたのを覚えている。
そしてそれを無碍に扱い、怒りの視線を投げられたのも。
恋愛感情が無いとはいわない。けれど、特別に意識してこなかった。
だから自分自身驚いている。なぜこのような大胆な行為に出たのか?
「暑いですね、この部屋……」
ブラウスに手をかけ、第二ボタンまで外す。
「柚子? おい、そんな、別に俺は、そんなことをしてもらいたいんじゃ……」
「先輩、キスしたことある?」
「あ、ああ」
彼を見下ろし、おなかの上に座る。
日々筋トレにいそしむ彼の身体に弛みはなく、がっしりとしてたくましい。
「かっこいいですね、先輩の……身体。すごい筋肉、すごい、割れてるよ、腹筋」
シャツの隙間から忍び込む柚子の指先が彼の肌をくすぐる。
「柚子?」
「いいの。今だけは任せて。先輩のこと、元気にさせるおまじないだから……」
「もういいよ。大丈夫。俺はもう元気だよ……」
「ウソ。まだ泣いてるもん」
微笑ながら目じりに触れる柚子。その手は乾いた涙の塩をぱらぱらと払う。
続く