五月の連休も出社して、その週の土日もつぶれた。
新人と先輩のダブルのポカのせいだ。
昼夜問わず私は取引先巡りをし、お詫び文やら企画書の作り直しやらでどこにいても仕事仕事仕事……。
それこそ例の路上詩人のところに行く暇すらない。
別に彼に会いたいとかそういうつもりはない。
ぼさぼさの髪に汚い服。ひょろっとした身体つきで背も小さい。顔ももてるタイプじゃないし、会話だって営業に向かないし、だいいち詩のないようがちんぷんかんぷんだ。
いわゆる心がときめくことはありえない。
どちらかというと、彼の惨めさを見にいき、五百円でその自尊心を覗き見してみたいという、そういういやらしい気持ちだ。
でもしょうがないじゃない。
私はこんなに辛いんだし、その憂さ晴らしぐらいしてもさ……。
~~
「お願いしてもいい?」
ようやく仕事にひと段落ついたある夜のこと、私は例の詩人の場所へといった。
今日はちょっぴりほろ酔い気分。少しぐらいはめを外してもいいわよねって気持ちだった。
「酔ってますね」
「え? うん」
意外なことに彼がいわゆる世間話をしてきた。
あまりに唐突だったせいで私は答えに窮し、ぶっきらぼうにいいはなってしまうだけだった。
とはいえ彼は私の心模様に興味もないらしく、淡々と詩を書いている。
「あのさ、なんかほかにないの? っていうかさ、いっつも思うんだけど、あんたの詩って意味わかんないよね」
その態度に腹を立てた私は、酔いと相成って彼に絡むように管をまきはじめる。
「そうですか、すみません」
けれど路上詩人さんは気に留めることなく、首を捻ったり筆を走らせたりしている。
「というかさ、あんたいい年してこんなことしてて恥ずかしくないの? 私みたいな寂しい女の興味惹いてお金を恵んでもらってさ……。これなら生活保護のほうがいいんじゃない? それとも路上生活者は需給資格もないのかしら?」
どうしてこんなことを言うのかわからない……が、とにかくいらだっていた私はとりとめもなくぐだぐだと素性も気心も知れない彼に悪口を続けた……。
「できました」
けれど彼の心には傷一つ付けることもできなかったらしく、いつものように視線を下げたまま、色紙を渡された。
「はいありがと。そんじゃ今日のおこづかいね」
私は財布の中から一番弱い立場の紙幣を取り出すと、くしゃくしゃにして彼に投げた。
これなら怒るだろう。
そう思って。
「ありがとうございます」
のれんにうでおし、ぬかにくぎ。
なんという脱力感、興醒めだろうかしら。
私はさっと引いていく酔い心地と、代わりにやってくる居心地の悪さに逃げ出すようにその場を去った。
~~
――きにするな
――くるしいのはあなただけじゃない
――このよはみんなびょうどうなんだ
その詩を読んで私は始めて涙した。
こんな安っぽい詩のどこに共感できるかと言われれば答えられないけれど、でも、自分ばかりが苦しいと思っていたことが恥ずかしい。
たとえ路上生活者である彼でも私と同じ人間であり、なんの恥じることもないのにと。
安いヒューマニズムは嫌いだけれど、それでも自分の先ほどの行い、ひいては彼を利用して自分の自尊心や嗜虐心を慰めていることの愚かしさを思い知らされた……。
そしたら急に自分の足元がぐらついてきた。
私はただの社会の歯車にすぎず、しかも替えがきく。
本当に必要とされているのかすら疑問だし、それこそ明日居なくなっても……。
~~
遅めのインフルエンザにかかった私は、最近の忙しさにも関わらず有給をとっていた。
会社には診断書を提出しており、それに関しては上司も嫌味を言いつつ承諾してくれた。
ただ……、
三日休んだらもう平気だと思っていたが、妙にだるい。
休み過ぎて身体が鈍ったのかしらと思ったけれど、気持ちの問題かもしれない。
というのも、昨日電話したら上司は「もうあらかた片付いた。井上君もしっかり治してから出社してくれたまえ」と上機嫌に言われた。
同僚に聞いたら例の新人君がしっかりと私の代わりをこなしてくれたらしい。
へえ……。
なんだ。
私、いらないじゃん。
そう思ったからかしら……、身体が立ち上がらない。
なんだかな……。
嫌な気持ち。
会社から連絡がくる。
当然だ。
今日で無断欠勤三日目だもの。
最初の一日目はどきどきしたけど、三回目となるともう気にならない。
というか、よくもまあ毎日ご苦労様って感じだ。
なんだか、もうどうでも良くなってきたし。
仕事一筋っていうわけじゃないけど、でも、他が無い。
趣味も男もなく、ただ一人。
たまに明らかに弱い存在を苛めて自分の立ち居地を確認する意地汚い存在。
こんな私は生きている価値があるのかな。
そんなとき、私の目にあの詩がとびこんできた。
あの詩人は元気かな。
っていうか、駅前ってああいうの禁止なんだけどな。
こんなの読んで感動して涙して……、その結果が引きこもりじゃしょうがないのに……、っていうか、元気になろうよ。
鰯の頭も心神からっていうし。
私は寝そべりながら、あの詩を並べ、読み直してみることにした。
――しずかなやみ
――ねむるはおしいつきのした
――よるのとばりにめをほそめ
――いつもこころにたいようを
――のどかなようきと
――うきたちめぶくだいちとともに
――えがおをわすれぬそんなすてきな
――きにするな
――くるしいのはあなただけじゃない
――このよはみんなびょうどうなんだ
うん、そうするよ……。
路上の死 完
昼夜問わず私は取引先巡りをし、お詫び文やら企画書の作り直しやらでどこにいても仕事仕事仕事……。
それこそ例の路上詩人のところに行く暇すらない。
別に彼に会いたいとかそういうつもりはない。
ぼさぼさの髪に汚い服。ひょろっとした身体つきで背も小さい。顔ももてるタイプじゃないし、会話だって営業に向かないし、だいいち詩のないようがちんぷんかんぷんだ。
いわゆる心がときめくことはありえない。
どちらかというと、彼の惨めさを見にいき、五百円でその自尊心を覗き見してみたいという、そういういやらしい気持ちだ。
でもしょうがないじゃない。
私はこんなに辛いんだし、その憂さ晴らしぐらいしてもさ……。
~~
「お願いしてもいい?」
ようやく仕事にひと段落ついたある夜のこと、私は例の詩人の場所へといった。
今日はちょっぴりほろ酔い気分。少しぐらいはめを外してもいいわよねって気持ちだった。
「酔ってますね」
「え? うん」
意外なことに彼がいわゆる世間話をしてきた。
あまりに唐突だったせいで私は答えに窮し、ぶっきらぼうにいいはなってしまうだけだった。
とはいえ彼は私の心模様に興味もないらしく、淡々と詩を書いている。
「あのさ、なんかほかにないの? っていうかさ、いっつも思うんだけど、あんたの詩って意味わかんないよね」
その態度に腹を立てた私は、酔いと相成って彼に絡むように管をまきはじめる。
「そうですか、すみません」
けれど路上詩人さんは気に留めることなく、首を捻ったり筆を走らせたりしている。
「というかさ、あんたいい年してこんなことしてて恥ずかしくないの? 私みたいな寂しい女の興味惹いてお金を恵んでもらってさ……。これなら生活保護のほうがいいんじゃない? それとも路上生活者は需給資格もないのかしら?」
どうしてこんなことを言うのかわからない……が、とにかくいらだっていた私はとりとめもなくぐだぐだと素性も気心も知れない彼に悪口を続けた……。
「できました」
けれど彼の心には傷一つ付けることもできなかったらしく、いつものように視線を下げたまま、色紙を渡された。
「はいありがと。そんじゃ今日のおこづかいね」
私は財布の中から一番弱い立場の紙幣を取り出すと、くしゃくしゃにして彼に投げた。
これなら怒るだろう。
そう思って。
「ありがとうございます」
のれんにうでおし、ぬかにくぎ。
なんという脱力感、興醒めだろうかしら。
私はさっと引いていく酔い心地と、代わりにやってくる居心地の悪さに逃げ出すようにその場を去った。
~~
――きにするな
――くるしいのはあなただけじゃない
――このよはみんなびょうどうなんだ
その詩を読んで私は始めて涙した。
こんな安っぽい詩のどこに共感できるかと言われれば答えられないけれど、でも、自分ばかりが苦しいと思っていたことが恥ずかしい。
たとえ路上生活者である彼でも私と同じ人間であり、なんの恥じることもないのにと。
安いヒューマニズムは嫌いだけれど、それでも自分の先ほどの行い、ひいては彼を利用して自分の自尊心や嗜虐心を慰めていることの愚かしさを思い知らされた……。
そしたら急に自分の足元がぐらついてきた。
私はただの社会の歯車にすぎず、しかも替えがきく。
本当に必要とされているのかすら疑問だし、それこそ明日居なくなっても……。
~~
遅めのインフルエンザにかかった私は、最近の忙しさにも関わらず有給をとっていた。
会社には診断書を提出しており、それに関しては上司も嫌味を言いつつ承諾してくれた。
ただ……、
三日休んだらもう平気だと思っていたが、妙にだるい。
休み過ぎて身体が鈍ったのかしらと思ったけれど、気持ちの問題かもしれない。
というのも、昨日電話したら上司は「もうあらかた片付いた。井上君もしっかり治してから出社してくれたまえ」と上機嫌に言われた。
同僚に聞いたら例の新人君がしっかりと私の代わりをこなしてくれたらしい。
へえ……。
なんだ。
私、いらないじゃん。
そう思ったからかしら……、身体が立ち上がらない。
なんだかな……。
嫌な気持ち。
会社から連絡がくる。
当然だ。
今日で無断欠勤三日目だもの。
最初の一日目はどきどきしたけど、三回目となるともう気にならない。
というか、よくもまあ毎日ご苦労様って感じだ。
なんだか、もうどうでも良くなってきたし。
仕事一筋っていうわけじゃないけど、でも、他が無い。
趣味も男もなく、ただ一人。
たまに明らかに弱い存在を苛めて自分の立ち居地を確認する意地汚い存在。
こんな私は生きている価値があるのかな。
そんなとき、私の目にあの詩がとびこんできた。
あの詩人は元気かな。
っていうか、駅前ってああいうの禁止なんだけどな。
こんなの読んで感動して涙して……、その結果が引きこもりじゃしょうがないのに……、っていうか、元気になろうよ。
鰯の頭も心神からっていうし。
私は寝そべりながら、あの詩を並べ、読み直してみることにした。
――しずかなやみ
――ねむるはおしいつきのした
――よるのとばりにめをほそめ
――いつもこころにたいようを
――のどかなようきと
――うきたちめぶくだいちとともに
――えがおをわすれぬそんなすてきな
――きにするな
――くるしいのはあなただけじゃない
――このよはみんなびょうどうなんだ
うん、そうするよ……。
路上の死 完