本来なら電車で行くべき距離だが、ある理由で自転車をこぐ必要がある。
そこまでして向かうのはふれあいの丘フリースクール。相模原市にある不登校の青少年の通う施設だ。
六階で受付を済まして七階へ上がる。以前不審者が来てからは、たとえ友人をお迎えするだけでも記帳が義務付けられているのだ。
教室のドアを開けると、梓がいた。彼女は椅子に座っており、一点を見つめている。
その向かいにはキャンバスに向かう男の子がいる。真剣な表情で彼女を見つめ、コンテを走らせていた。
「あ、真琴君……」
「梓さん、こんにちは」
梓は彼に気付き、「鏡君、ちょっと休憩ね」と席を立つ。
「邪魔しちゃいました?」
「んーん、少しぐらいいいわ。同じ姿勢でいるのって結構退屈だし、疲れるの。それよりも、今日も? ふふ……熱心だね」
「僕にはそれしかできないから……」
「そうね、じゃあ呼んでくるね……」
梓はそう言うと隣りの部屋へと走る。
暫くして彼女は一人の女の子を連れてくる。
おどおどした様子で周囲を伺い、身体をきゅっと抱きしめる彼女。
肩に届く髪と視線を落した瞳。少し前までは健康的な肌色だったが、今は日の光を嫌うせいで色白。ソフトボールをやめたせいか、腕っぷしもか弱く見えた。
「ほら、真琴君だよ……」
「まこ……と? あ、まこと……」
彼女は彼に気付くと早足で向かい、胸に飛び込む。
「まこと……」
彼の胸の中で深呼吸をする彼女。
「ありがと……」
「んーん、いいの」
真琴はそう言って彼女の頭をなでる。
「それじゃあ、僕は……」
「うん。澪のことお願いね……」
梓はそう言うと、先ほどの教室へと戻る。
「さ、行こう、澪……」
「うん……」
澪は真琴の背後に隠れ、その腕にしがみつくようにして、歩いていた……。
**――**
あの日、何があったのか?
真琴は奮闘むなしく膝を着いた。その脇をすり抜けるようにして現れたのは真澄家のお手伝い兼運転手の野中愛美。さらに屈強な男達がやってきて、大城大学電算部の面々をなぎ倒した。
ぽかんとしていた真琴は愛美に促されるままにその場を追い出される。
澪のことを知りたかった彼だが、彼女の家に行っても教えてはもらえず、学校では梓と澪が転校したとだけ聞かされた。
真琴は真澄家を訪ね、なんとか愛美に食い下がろうとしたが断られた。だが、たまたま帰ってきた梓に頼み込み、真相を教えてもらった。
屈強な男達は久美の父親が手配した人々で、大城大学の学生達は皆連れて行かれたらしい。
その後どうなったのかは梓も知らされていないが、喜田川家は大きな商家であり、その筋にも明るいらしい。
澪、梓、真帆の三人は今、ふれあいの丘フリースクールに通っているとのこと。心の傷を癒すためだとか。
真帆は歌うことを諦めていないらしく、しがらみの無い場所で練習に励んでいる。
梓もまた叔父の仕事を手伝い、やがては父の意志を継ぐためにと、秘書の真似事をしているとか。
だが、澪だけはすがるものもなく、日々塞ぎこんでいる。
その様子は痛々しく、梓は辛いといっていた。
真琴は彼女に会いたいといい、梓もそれを承諾した。
だが、彼女は男に怯えており、最初は真琴が来ただけでも失禁するほどだった。
叫ばれ、泣かれ、噛み付かれ、引っ掻かれ、蹴られ、殴られ、罵倒され、それでも真琴は彼女の元へと通い、最近ではフリースクールの自習室に入れる程度になったらしい。
「真琴……」
「なあに? 澪」
「呼んだだけ」
澪は彼の身体にしがみつき、鼻をすする。
彼女が怯えるから電車には乗れない。
来るときは父親の車で、帰るときは母親の車。土曜日だけは真琴の荷台であり、その時が彼女にとって一番心安らぐ時間。
「ありがと」
彼女はそう言って彼の首にキスをする。
「うん」
「ねぇ、休みたいな……」
澪が指差す方向には、きらびやかなお城のような建物がある。
真琴は一旦ブレーキを効かせるが、気付いて再び走らせる。
「だめだよ澪……」
真琴はその手を掴み、胸に抱く。
「だって、真琴の……」
だが、その手はサドルの近くへと行き……。
「澪、困らせないで……」
「うん、ごめん……でも……、真琴がいいから……」
「僕も澪がいいよ」
「じゃあ、我慢する……」
そう言って彼女は真琴にしがみつきなおす。
真琴は揺らぐ気持ちを抱えながら、しっかりと自転車をこいだ……。
葉月真琴の悔恨 ~欅ホール陵辱事件~
『僕は澪を支えたい……』完
教室のドアを開けると、梓がいた。彼女は椅子に座っており、一点を見つめている。
その向かいにはキャンバスに向かう男の子がいる。真剣な表情で彼女を見つめ、コンテを走らせていた。
「あ、真琴君……」
「梓さん、こんにちは」
梓は彼に気付き、「鏡君、ちょっと休憩ね」と席を立つ。
「邪魔しちゃいました?」
「んーん、少しぐらいいいわ。同じ姿勢でいるのって結構退屈だし、疲れるの。それよりも、今日も? ふふ……熱心だね」
「僕にはそれしかできないから……」
「そうね、じゃあ呼んでくるね……」
梓はそう言うと隣りの部屋へと走る。
暫くして彼女は一人の女の子を連れてくる。
おどおどした様子で周囲を伺い、身体をきゅっと抱きしめる彼女。
肩に届く髪と視線を落した瞳。少し前までは健康的な肌色だったが、今は日の光を嫌うせいで色白。ソフトボールをやめたせいか、腕っぷしもか弱く見えた。
「ほら、真琴君だよ……」
「まこ……と? あ、まこと……」
彼女は彼に気付くと早足で向かい、胸に飛び込む。
「まこと……」
彼の胸の中で深呼吸をする彼女。
「ありがと……」
「んーん、いいの」
真琴はそう言って彼女の頭をなでる。
「それじゃあ、僕は……」
「うん。澪のことお願いね……」
梓はそう言うと、先ほどの教室へと戻る。
「さ、行こう、澪……」
「うん……」
澪は真琴の背後に隠れ、その腕にしがみつくようにして、歩いていた……。
**――**
あの日、何があったのか?
真琴は奮闘むなしく膝を着いた。その脇をすり抜けるようにして現れたのは真澄家のお手伝い兼運転手の野中愛美。さらに屈強な男達がやってきて、大城大学電算部の面々をなぎ倒した。
ぽかんとしていた真琴は愛美に促されるままにその場を追い出される。
澪のことを知りたかった彼だが、彼女の家に行っても教えてはもらえず、学校では梓と澪が転校したとだけ聞かされた。
真琴は真澄家を訪ね、なんとか愛美に食い下がろうとしたが断られた。だが、たまたま帰ってきた梓に頼み込み、真相を教えてもらった。
屈強な男達は久美の父親が手配した人々で、大城大学の学生達は皆連れて行かれたらしい。
その後どうなったのかは梓も知らされていないが、喜田川家は大きな商家であり、その筋にも明るいらしい。
澪、梓、真帆の三人は今、ふれあいの丘フリースクールに通っているとのこと。心の傷を癒すためだとか。
真帆は歌うことを諦めていないらしく、しがらみの無い場所で練習に励んでいる。
梓もまた叔父の仕事を手伝い、やがては父の意志を継ぐためにと、秘書の真似事をしているとか。
だが、澪だけはすがるものもなく、日々塞ぎこんでいる。
その様子は痛々しく、梓は辛いといっていた。
真琴は彼女に会いたいといい、梓もそれを承諾した。
だが、彼女は男に怯えており、最初は真琴が来ただけでも失禁するほどだった。
叫ばれ、泣かれ、噛み付かれ、引っ掻かれ、蹴られ、殴られ、罵倒され、それでも真琴は彼女の元へと通い、最近ではフリースクールの自習室に入れる程度になったらしい。
「真琴……」
「なあに? 澪」
「呼んだだけ」
澪は彼の身体にしがみつき、鼻をすする。
彼女が怯えるから電車には乗れない。
来るときは父親の車で、帰るときは母親の車。土曜日だけは真琴の荷台であり、その時が彼女にとって一番心安らぐ時間。
「ありがと」
彼女はそう言って彼の首にキスをする。
「うん」
「ねぇ、休みたいな……」
澪が指差す方向には、きらびやかなお城のような建物がある。
真琴は一旦ブレーキを効かせるが、気付いて再び走らせる。
「だめだよ澪……」
真琴はその手を掴み、胸に抱く。
「だって、真琴の……」
だが、その手はサドルの近くへと行き……。
「澪、困らせないで……」
「うん、ごめん……でも……、真琴がいいから……」
「僕も澪がいいよ」
「じゃあ、我慢する……」
そう言って彼女は真琴にしがみつきなおす。
真琴は揺らぐ気持ちを抱えながら、しっかりと自転車をこいだ……。
葉月真琴の悔恨 ~欅ホール陵辱事件~
『僕は澪を支えたい……』完