いくつか樽が置かれており、病人の手当てをする場所には見えなかった。
「ヘンリー、ここが処置室なのかい?」
想像と全然違う場所にリョカは疑問を口にする。
「ああ、そうだ」
肩を回しながら全快ぶりをマリアに見せるヘンリーは、すぐに樽を四つ用意する。
「でも、処置って……」
「処置というのは名ばかりで、ここから海に捨てるのさ。この樽に入れてな」
「え!? じゃあまさか……、ピエトロは……」
病に倒れた彼はあの日ここへ運ばれ、樽に入れられ、そのまま……。
「言うな。俺にはどうにもできないことだ」
悔やむリョカに、ヘンリーは務めて冷静に言う。おそらくマリアも知っていたのだろう。悲しそうに目を背けるが、リョカのように驚く素振りはない。
「この樽は二重になっている。昔異国のお土産にもらったマトリョーシカとかいうものを思い出してな、一つ目で落下の衝撃吸収、もう一つで海に浮かぶというわけだ。これで外に出られる」
「ふうん。猿なみには考えたつもりなのね。でも、外に出てどうするの? そんな樽、海流に乗れなければ海を漂うだけでミイラになるわよ?」
「だ、誰?」
虚空からの声に驚くマリア。するとふわっと光が集まり、エマが姿を見せ、彼女はほっと息をつく。
「当然だな。だが、今日はできるのだ。というか、チャンスは今日のような日ぐらいだろうな……」
「何か考えがあるの?」
「うむ。奉仕者の数は多すぎても少なすぎてもいけない。多すぎると管理ができず、少なすぎると工程に支障をきたすからな。奉仕者の数は一定量で推移する必要がある。俺はここへきて暫くの間、各閨の奉仕者の数と、減った数、それに補充される曜日を調べていた。当然、補給の日も船の都合などがあるだろうからな。そして、連絡船のくる周期を突き止めた。この前の補充から俺が倒れるまでに死んだ奉仕者は十三人。樽の減った量をみるに、そろそろ新しい奉仕者を補給する必要がある。今日はその定期船が来る日だ。まあ一日二日のずれはあるかもしれないがな……」
自信満々に語るヘンリーにエマは感心したように頷く。それはリョカ、マリアも同じで、彼がただイタズラに作業をサボっていたわけではないとわかる。
ヘンリーは印を組み、手で筒を作ると、「レミリア」と唱える。それは光の屈折率を変えることで簡単な望遠鏡を作る魔法だった。彼はそれを使い、連絡船や神殿のあるおおよその場所などを推測していたらしい。
光を集める焦光魔法レミーラの派生で、誰にでも使えるらしく、リョカもまねをして鮮明になる視界に感心していた。
「へえ、口だけではないのね」
「ふふん、当然だ。さて、リョカ。俺達は今からこの水路を経て下界に出る。そうしたらまず船を見つけるのだ。教壇の連絡船は常に日の出のほうから来る。岩場づたいに東を目指す。そして、船を見つけたら強引にもぐりこむのだ」
「そこから先は無計画なのね」
ふうとため息を着くエマ。とはいえ、リョカ達がここから出る方法は他に無い。
早速タルを二重にすると、古びた胴衣を詰め、さらにリョカが入念に防壁魔法を施す。そして水の流れるほうへと転がしていった。
「それでは行くぞ。リョカよ、必ず無事ラインハットの地を踏むぞ。その時は俺が親分で、お前は子分だ。いいな?」
「ああ、わかった。けど、僕は父さんの……」
「うむ。お前はまずパパス殿の……その時は俺に償いをさせろ」
「償い? ヘンリー、君は……」
誤解だと言いたかったリョカだが、強引にフタをされてしまう。
「よし、行け!」
ヘンリーは続いてマリアをタルに詰める。
「マリア、俺がラインハットの王に戻った時は、君が隣にいてくれると嬉しい」
「ヘンリー、私は……そんな価値の無い……」
「頼むぞ……」
何か煮え切らない彼女を強引にタルに押し込め、続いて自分もタルに篭る。そして横になり、転がりながら水路を目指していく。
「まったく、素直に私の僕になれば良いものを……」
腕を組みつつ嘆息をつくエマ。だが、真の王者になるべく者が簡単に頭を下げるのもつまらないと、ごろごろ転がる様を見る。
そして、じゃぶんと一つのタルが転がり落ちたのをきっかけに、三つ四つと続いていった……。
**――**
波に揺られる不安な感覚と、ごぉーという水の流れる音。タルが急に向きを変えたと思ったら、不快な無重力に包まれる。
せいぜい三十秒といったところのはずが、狭く黒いだけのタルの中、時間の流れが緩やかに感じられる。
海面にぶつかったらどうなるか? 二重のタルには緩衝材の布切れとリョカの防壁魔法スカラが掛けられているが、万全とは言いがたい。
もし、着水の衝撃でタルが砕けたら?
その不安は、神殿の奉仕者として緩やかに死ぬことと天秤に掛けたとき、どちらに傾くかわからない。
直近の今だけを見れば、明日に怯えて眠りに着くことのほうが楽かもしれないが……。
**――**
人工の滝は急傾斜であったが、直下という角度ではなかった。
そのせいか、リョカ達の乗ったタルは緩衝用の外のタルの破損だけで済み、気がつくまでの数十分、波に漂っていた。
「……ん……」
タルの隙間から滲みこむ潮の香りに目が覚める。リョカはフタを開けようとして手を止める。まずは姿勢を制御する必要がある。
リョカは狭いタルの中でフタが上になるようにゆっくり身体を動かし、膝でタルの脇に踏ん張り、フタを押し上げる。
パコンと音がして外の空気が入ってくる。
リョカの目の前には満点の星空が見えた。それを遮るのは神殿のそびえる総本山。脱出したという感慨が浮かんでくる。
「僕は……僕は……」
二年の月日の中、在りし日の父を思い涙に濡れながら閨で目覚める毎日、生きて神殿の外へ出られるなどと思わなかった。
その興奮、感動を言葉にしたくても、リョカの胸に訪れる苦しさが、それをさせず、ついには涙で空まで曇る。
「いけない……。ヘンリー、マリアは……」
リョカは涙を拭い、タルを繋ぐ鎖を見る。もし落下の衝撃でちぎれていたら? そんな不安は、のんきに浮かぶタルの姿に払拭される。
「ヘンリー! ヘンリー!」
リョカは海原に飛び込みかねない勢いで鎖を引き、そしてタルのフタを開ける。
中にはマリアがいた。おそらく気を失っているのだろう。顔を曇らせながら、すーすーと寝息を立てていた。
「マリアさん。よかった……」
リョカは軽く回復魔法を唱えた後、フタをしっかり閉める。そしてもう一つのタルを引き寄せる。しかし、それはやけに軽い。
「ヘンリー?」
リョカは恐る恐るそれを開けるが、中には調理場から盗んだであろう干し肉と竹筒の水筒があるだけだった。
「嘘だろ? そんな……」
リョカはさらに鎖を引っ張る。しかし、その先には何もつながれておらず、鋭利な刃物で切られた鎖が見えただけだった。
「まさか脱出できなかったの?」
脱出の前に捕まったのだろうか? そんな不安が訪れるが、監視達が来た様子は無かった。ならばどうして鎖が切れているのだろうか?
「ヘンリー……」
波間にたゆたうリョカを乗せたタル。ふと視界の先に光が反射する。
「光? 船か?」
リョカは慌てて振り向き、光源のほうを見る。連絡船らしきものが神殿の麓の簡易港に停泊しているのが見えた。
リョカはタルの中からオールを取り出し、こぎ始めた。
ヘンリーならきっと、もし、リョカが遭難したとしてそうするだろう。
リョカは今できること、マリアを救うためにも、甘さを捨てるべきと波をかき分けた……。
**――**
停泊中の船に忍びこむリョカ。積み下ろしを終えた船員達はしばしの休憩に酒盛りを始めており、何人かはそのまま眠りこけていた。
リョカは船倉へと降り、隠れられそうな場所を探す。すると、鍵付の倉庫があり、中には見たことのない不思議な香りのする草がたくさん置かれていた。
おそらくこれを大陸に持ち帰るのだろうと考えたリョカは、ここに隠れることにする。
都合よく鍵も掛けられることでまさにうってつけだった。
リョカは船員達の目を盗み、マリアを連れて倉庫に隠れ、出航の時を待った……。
**――**
干し肉で餓えを凌ぎ、苦い野菜で乾きを潤す密航者。
動くこともままならず、おかしな匂いのする草に囲まれる日々は労働とは別の苦しさがあった。
それが一週間ほど続いたある日のことだった。
船が大きく揺れ、ばりばりと木々の折れる音がした。なにごとかと船倉を出る二人。甲板のほうでは船員達の怒声が響く。
「リョカさん、一体……」
怯えるマリアはリョカに抱かれながら膝を折る。
「時化だ。今この船は嵐に見舞われているんだ……」
唸る風の音、叩きつけられるような雨の音。船の暮らしなど知らないマリアはそのつど肩を震わせ、リョカの手を強く握る。
「ひとまず上を見てくる。ここで待っていてくれ」
「そんな、私一人でこんなところに……」
「大丈夫、直ぐ戻ってくるから……」
リョカは立ちすくむマリアを宥め、甲板へと駆け上がる。
そして見たものは折れたマストと、大きく傾く甲板の様子を。
何人かの船員は必死にそれを食い止めようとしていたが、煽られる波しぶきに足をとられ、今その瞬間波間に消えた。
「ちくしょー! 何が光の神様だ! くそくらえ!」
「だからあんなクソ教団の仕事なんて請けたくなかったんだ。もうすぐオラクルベリーだってのによー!」
怒号の中、懐かしい言葉を拾うリョカ。嵐のせいで視界は零だが、光の精霊を集め、屈折率を変える。すると、そう遠くない場所に大陸が見えた。
――これはもしかしてチャンスかもしれない……。
そう考えたリョカは船倉に引き返し、タルを抱える。
「マリア、この船はもうもたない。脱出しよう」
「そんな!? こんな嵐の中をどうやって!?」
「僕に考えがある。ここで大人しく難破するのをまつよりもずっといい」
「リョカさん……わかりました……」
リョカはマリアの手を取り、大きめのタルを抱えて階段を上る。
ざわめく船員達は密航者のことなど眼中になく、怒号と罵声の中、祈りだすものもいた。
リョカはタルに防壁魔法を唱えると、マリアに中に入るよう促す。続いて自分も半身を入れ、印を組む。
「吹き荒ぶ風よ、嵐を担う横暴な猛者よ、今、我の求めに応えて唸れ、バキマ!!」
リョカはタルに向かって中級真空魔法を唱える。荒れ狂う嵐の中、風の精霊を集めることは容易く、初めて詠唱する中級真空魔法は、バギとは比べ物にならない威力だった。
タルは荒れ狂う嵐の空に放たれ、着水する。衝撃は防壁魔法で何とか緩和される。
リョカはその衝撃に堪えながら、再び印を組み、真空魔法を推進力に変える。
「バギ、バギ、バギ!!」
魔力が尽きるのが先か、それとも……?
**――**
魔力を使い果たした頃、リョカ達の乗ったタルは海流に乗ることができた。
既に陸地の見える距離であり、浜の近場で漁をしていた小船に拾われた。
二人はこうしてオラクルベリー付近の修道院へとたどり着いた……。
続く
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「でも、処置って……」
「処置というのは名ばかりで、ここから海に捨てるのさ。この樽に入れてな」
「え!? じゃあまさか……、ピエトロは……」
病に倒れた彼はあの日ここへ運ばれ、樽に入れられ、そのまま……。
「言うな。俺にはどうにもできないことだ」
悔やむリョカに、ヘンリーは務めて冷静に言う。おそらくマリアも知っていたのだろう。悲しそうに目を背けるが、リョカのように驚く素振りはない。
「この樽は二重になっている。昔異国のお土産にもらったマトリョーシカとかいうものを思い出してな、一つ目で落下の衝撃吸収、もう一つで海に浮かぶというわけだ。これで外に出られる」
「ふうん。猿なみには考えたつもりなのね。でも、外に出てどうするの? そんな樽、海流に乗れなければ海を漂うだけでミイラになるわよ?」
「だ、誰?」
虚空からの声に驚くマリア。するとふわっと光が集まり、エマが姿を見せ、彼女はほっと息をつく。
「当然だな。だが、今日はできるのだ。というか、チャンスは今日のような日ぐらいだろうな……」
「何か考えがあるの?」
「うむ。奉仕者の数は多すぎても少なすぎてもいけない。多すぎると管理ができず、少なすぎると工程に支障をきたすからな。奉仕者の数は一定量で推移する必要がある。俺はここへきて暫くの間、各閨の奉仕者の数と、減った数、それに補充される曜日を調べていた。当然、補給の日も船の都合などがあるだろうからな。そして、連絡船のくる周期を突き止めた。この前の補充から俺が倒れるまでに死んだ奉仕者は十三人。樽の減った量をみるに、そろそろ新しい奉仕者を補給する必要がある。今日はその定期船が来る日だ。まあ一日二日のずれはあるかもしれないがな……」
自信満々に語るヘンリーにエマは感心したように頷く。それはリョカ、マリアも同じで、彼がただイタズラに作業をサボっていたわけではないとわかる。
ヘンリーは印を組み、手で筒を作ると、「レミリア」と唱える。それは光の屈折率を変えることで簡単な望遠鏡を作る魔法だった。彼はそれを使い、連絡船や神殿のあるおおよその場所などを推測していたらしい。
光を集める焦光魔法レミーラの派生で、誰にでも使えるらしく、リョカもまねをして鮮明になる視界に感心していた。
「へえ、口だけではないのね」
「ふふん、当然だ。さて、リョカ。俺達は今からこの水路を経て下界に出る。そうしたらまず船を見つけるのだ。教壇の連絡船は常に日の出のほうから来る。岩場づたいに東を目指す。そして、船を見つけたら強引にもぐりこむのだ」
「そこから先は無計画なのね」
ふうとため息を着くエマ。とはいえ、リョカ達がここから出る方法は他に無い。
早速タルを二重にすると、古びた胴衣を詰め、さらにリョカが入念に防壁魔法を施す。そして水の流れるほうへと転がしていった。
「それでは行くぞ。リョカよ、必ず無事ラインハットの地を踏むぞ。その時は俺が親分で、お前は子分だ。いいな?」
「ああ、わかった。けど、僕は父さんの……」
「うむ。お前はまずパパス殿の……その時は俺に償いをさせろ」
「償い? ヘンリー、君は……」
誤解だと言いたかったリョカだが、強引にフタをされてしまう。
「よし、行け!」
ヘンリーは続いてマリアをタルに詰める。
「マリア、俺がラインハットの王に戻った時は、君が隣にいてくれると嬉しい」
「ヘンリー、私は……そんな価値の無い……」
「頼むぞ……」
何か煮え切らない彼女を強引にタルに押し込め、続いて自分もタルに篭る。そして横になり、転がりながら水路を目指していく。
「まったく、素直に私の僕になれば良いものを……」
腕を組みつつ嘆息をつくエマ。だが、真の王者になるべく者が簡単に頭を下げるのもつまらないと、ごろごろ転がる様を見る。
そして、じゃぶんと一つのタルが転がり落ちたのをきっかけに、三つ四つと続いていった……。
**――**
波に揺られる不安な感覚と、ごぉーという水の流れる音。タルが急に向きを変えたと思ったら、不快な無重力に包まれる。
せいぜい三十秒といったところのはずが、狭く黒いだけのタルの中、時間の流れが緩やかに感じられる。
海面にぶつかったらどうなるか? 二重のタルには緩衝材の布切れとリョカの防壁魔法スカラが掛けられているが、万全とは言いがたい。
もし、着水の衝撃でタルが砕けたら?
その不安は、神殿の奉仕者として緩やかに死ぬことと天秤に掛けたとき、どちらに傾くかわからない。
直近の今だけを見れば、明日に怯えて眠りに着くことのほうが楽かもしれないが……。
**――**
人工の滝は急傾斜であったが、直下という角度ではなかった。
そのせいか、リョカ達の乗ったタルは緩衝用の外のタルの破損だけで済み、気がつくまでの数十分、波に漂っていた。
「……ん……」
タルの隙間から滲みこむ潮の香りに目が覚める。リョカはフタを開けようとして手を止める。まずは姿勢を制御する必要がある。
リョカは狭いタルの中でフタが上になるようにゆっくり身体を動かし、膝でタルの脇に踏ん張り、フタを押し上げる。
パコンと音がして外の空気が入ってくる。
リョカの目の前には満点の星空が見えた。それを遮るのは神殿のそびえる総本山。脱出したという感慨が浮かんでくる。
「僕は……僕は……」
二年の月日の中、在りし日の父を思い涙に濡れながら閨で目覚める毎日、生きて神殿の外へ出られるなどと思わなかった。
その興奮、感動を言葉にしたくても、リョカの胸に訪れる苦しさが、それをさせず、ついには涙で空まで曇る。
「いけない……。ヘンリー、マリアは……」
リョカは涙を拭い、タルを繋ぐ鎖を見る。もし落下の衝撃でちぎれていたら? そんな不安は、のんきに浮かぶタルの姿に払拭される。
「ヘンリー! ヘンリー!」
リョカは海原に飛び込みかねない勢いで鎖を引き、そしてタルのフタを開ける。
中にはマリアがいた。おそらく気を失っているのだろう。顔を曇らせながら、すーすーと寝息を立てていた。
「マリアさん。よかった……」
リョカは軽く回復魔法を唱えた後、フタをしっかり閉める。そしてもう一つのタルを引き寄せる。しかし、それはやけに軽い。
「ヘンリー?」
リョカは恐る恐るそれを開けるが、中には調理場から盗んだであろう干し肉と竹筒の水筒があるだけだった。
「嘘だろ? そんな……」
リョカはさらに鎖を引っ張る。しかし、その先には何もつながれておらず、鋭利な刃物で切られた鎖が見えただけだった。
「まさか脱出できなかったの?」
脱出の前に捕まったのだろうか? そんな不安が訪れるが、監視達が来た様子は無かった。ならばどうして鎖が切れているのだろうか?
「ヘンリー……」
波間にたゆたうリョカを乗せたタル。ふと視界の先に光が反射する。
「光? 船か?」
リョカは慌てて振り向き、光源のほうを見る。連絡船らしきものが神殿の麓の簡易港に停泊しているのが見えた。
リョカはタルの中からオールを取り出し、こぎ始めた。
ヘンリーならきっと、もし、リョカが遭難したとしてそうするだろう。
リョカは今できること、マリアを救うためにも、甘さを捨てるべきと波をかき分けた……。
**――**
停泊中の船に忍びこむリョカ。積み下ろしを終えた船員達はしばしの休憩に酒盛りを始めており、何人かはそのまま眠りこけていた。
リョカは船倉へと降り、隠れられそうな場所を探す。すると、鍵付の倉庫があり、中には見たことのない不思議な香りのする草がたくさん置かれていた。
おそらくこれを大陸に持ち帰るのだろうと考えたリョカは、ここに隠れることにする。
都合よく鍵も掛けられることでまさにうってつけだった。
リョカは船員達の目を盗み、マリアを連れて倉庫に隠れ、出航の時を待った……。
**――**
干し肉で餓えを凌ぎ、苦い野菜で乾きを潤す密航者。
動くこともままならず、おかしな匂いのする草に囲まれる日々は労働とは別の苦しさがあった。
それが一週間ほど続いたある日のことだった。
船が大きく揺れ、ばりばりと木々の折れる音がした。なにごとかと船倉を出る二人。甲板のほうでは船員達の怒声が響く。
「リョカさん、一体……」
怯えるマリアはリョカに抱かれながら膝を折る。
「時化だ。今この船は嵐に見舞われているんだ……」
唸る風の音、叩きつけられるような雨の音。船の暮らしなど知らないマリアはそのつど肩を震わせ、リョカの手を強く握る。
「ひとまず上を見てくる。ここで待っていてくれ」
「そんな、私一人でこんなところに……」
「大丈夫、直ぐ戻ってくるから……」
リョカは立ちすくむマリアを宥め、甲板へと駆け上がる。
そして見たものは折れたマストと、大きく傾く甲板の様子を。
何人かの船員は必死にそれを食い止めようとしていたが、煽られる波しぶきに足をとられ、今その瞬間波間に消えた。
「ちくしょー! 何が光の神様だ! くそくらえ!」
「だからあんなクソ教団の仕事なんて請けたくなかったんだ。もうすぐオラクルベリーだってのによー!」
怒号の中、懐かしい言葉を拾うリョカ。嵐のせいで視界は零だが、光の精霊を集め、屈折率を変える。すると、そう遠くない場所に大陸が見えた。
――これはもしかしてチャンスかもしれない……。
そう考えたリョカは船倉に引き返し、タルを抱える。
「マリア、この船はもうもたない。脱出しよう」
「そんな!? こんな嵐の中をどうやって!?」
「僕に考えがある。ここで大人しく難破するのをまつよりもずっといい」
「リョカさん……わかりました……」
リョカはマリアの手を取り、大きめのタルを抱えて階段を上る。
ざわめく船員達は密航者のことなど眼中になく、怒号と罵声の中、祈りだすものもいた。
リョカはタルに防壁魔法を唱えると、マリアに中に入るよう促す。続いて自分も半身を入れ、印を組む。
「吹き荒ぶ風よ、嵐を担う横暴な猛者よ、今、我の求めに応えて唸れ、バキマ!!」
リョカはタルに向かって中級真空魔法を唱える。荒れ狂う嵐の中、風の精霊を集めることは容易く、初めて詠唱する中級真空魔法は、バギとは比べ物にならない威力だった。
タルは荒れ狂う嵐の空に放たれ、着水する。衝撃は防壁魔法で何とか緩和される。
リョカはその衝撃に堪えながら、再び印を組み、真空魔法を推進力に変える。
「バギ、バギ、バギ!!」
魔力が尽きるのが先か、それとも……?
**――**
魔力を使い果たした頃、リョカ達の乗ったタルは海流に乗ることができた。
既に陸地の見える距離であり、浜の近場で漁をしていた小船に拾われた。
二人はこうしてオラクルベリー付近の修道院へとたどり着いた……。
続く
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