「やったよ、父さん……。私、父さんの仇をとったよ……。だから居なくならないで……」
朦朧とした意識の中、アンは呟いた。
メラゾーマ自体は師のもとで何度も練習した。詠唱方法も「とある図書館」にて調べてきた。
本当ならマヒャドで凍らせるつもりだった。そのための作戦もあった。けれど、溶岩魔人を前に冷静になれなかった。
結果、必要以上に魔力と精神を消耗し、暫くは抜け殻のように力が入りそうに無い。これでは師と口さがないパートナーに笑われてしまうだろう。
「しょうがないじゃない……。あいつらは父さんの……」
涙でにじむ視界の中、伸ばした髪が焦げる臭いがした。水の精霊が炎に逃げ出し、青い髪は黒くこげているのだ。
「やだなぁ、母さんとおそろいの髪、気に入ってるのに……」
縮れていく毛を手繰りながら、鼻を啜る。けれどそれはうれし涙のさせるもの。
「お~い、アン! リョカ!」
ふわっと風が彼女を撫でた。
「あらシドレー……なに? 勝利の余韻に浸ってるんだけど……」
「はいはい、そういうのはサラボナに帰って一緒にやりましょうね」
ぼんやりしたままの二人を促すシドレー。リョカはアンの重みにつぶれているらしく、まだ立てそうにないので、無理やり背負っていた。
「うん。そうだね。そうしなよ」
「ん~そうやな。お前らは今回の功労者なんやし、二人の結婚式に参加したらどうなん? アンディはんの知り合いなんやろ?」
「え? いいのかな?」
「かまわんやろ。オレは無理やけどな」
「僕も無理かな? ほら、ぼろぼろだし、場違いだし」
「はは、そうやな。ま、ちょいとくらいがめてもええかな? こんだけ苦労したんやし」
「シドレーはそればっかり……」
シドレーはアンに背中を向け、乗るように示す。いくらアンでもまだ魔力が回復しておらず、自力で戻ることができそうにない。
「ありがとう……」
「え? おい……なんか素直すぎて気味わるいな……」
二人を背負って飛ぶシドレーは、低速で階段を目指す。
「別に普通よ……。そうだ、リョカに絵を描いてもらおうよ。二人の結婚式の絵」
「ん? ああ、それもええな。絵だけにな……」
「なにそれ、そんなんじゃ誰も笑わないよ? デボラおばさんくらいじゃない?」
「デボラはんは笑い上戸やからな……? いやいやいや、まだあん人おばさんやないから」
「あ、そうだ……った。でもいいんだ。もういいの」
「なにがや?」
「だって、これで終るんだもん。私の旅」
「ほうか? そら良かったな……。ま、今みたいにおしとやかな姉ちゃんのふりすれば、いい人の一人も見つかるで」
「うん、カッコイイ人がいいな……。お父さんみたいに……、ああ、こっちのお父さんでもいいかな?」
「おいおい、二人もいらんやろ。余っておっても、オレはいらんで?」
「あげないよ~だ」
「なんじゃそりゃ……ったくもう……?」
広い背中の上で眠る前のとりとめの無い話をするつもりのアン。けれど、シドレーの急降下がそれを制す。
「ちょっと、シドレー!?」
彼女もその様子にだるい身体に鞭を打つ。
「なんやあいつら!」
シドレーの背中をはいよじり見た先には、下りてきた坂道に炎の戦士を引き連れた異形の魔物が居た。
「あれは!」
風にゆらめくような白く黄色くはためく炎のドレス。灼熱の肌と燃える炎の髪の毛を振り乱す不敵な存在。その魔物は左手にビアンカの首を掴んでいた。
**
リョカはシドレーの背中から飛び降りると、新たに現れた炎の魔物に飛び掛る。
「ふん!」
しかし、炎の魔物はビアンカを盾にしてリョカを制し、さらに前蹴りで吹っ飛ばす。
「リョカさん!」
新手の出現に奮闘中のアンディは、折れたレイピア片手と氷結魔法で炎の戦士をなぎ払う。
「平気です、それより!」
炎の魔物らしく、その身体も高温らしい。ビアンカのドレスの端が彼女の身体に触れるたびに変色していくのが見える。そんな魔物に首をつかまれているビアンカが無事とは思えない。リョカは焦りに注意を掻き、碌に作戦も立てず、周りの炎の戦士達を振り払う。
「ぐ! は! てりゃ!」
烏合の衆に過ぎない炎の戦士はリョカの気迫に圧されて、昆の一振りでなぎ倒される。リョカも手加減している暇もなく、膂力の限り、正面、腹と急所を狙う。
「ギャ! ぎゃ!」
額当てを打たれた炎の戦士はそのまま昏倒し、溶岩の海へと投げ出される。
また一体、また一体と鬼神のごとく駆けるリョカに、炎の魔物は後ずさる。
「ビアンカを放せ!」
リョカはビアンカを気にしながら昆を突き出す。どうやら大した戦闘技術はないらしく、リョカの連撃には圧されがち。けれど、ビアンカという盾に攻めきれない。一進一退を繰り返していた。
「ふん、この炎の女王が狙っていた指輪を奪おうなんて、たかが地を這う虫けらにしてはオイタがすぎるんじゃないかえ?」
片手に炎を掲げる炎の女王。リョカは身構える素振りも見せず、果敢に攻める。
「く! この野蛮なサルめ! ベギラマ!」
炎の魔物らしく炎の精霊を集めると、閃熱をリョカに向かって放つ。けれど、中級閃光魔法程度に怯むリョカではなく、さらにマホステで魔法自体届かない。
「でりゃあ!」
「ひっ!」
打ち込むと見せかけて、足元に昆を突きたてる。インパクトに目を瞑った女王は、訪れない衝撃にちらりと目を開ける。しかしそこにリョカは居らず、突き立てられた昆があるのみ。そして背後で着地音。
「いつのまに!」
棒高跳びの要領で飛び越えたリョカは背後に居た。彼は腰に隠した刃のブーメランを両手で構えると、女王の左腕に鋭く振り下ろす。
「ぐひゃぁ!!」
ビアンカを掴んでいた腕は断ち切られ、出血の代わりに炎が噴出した。
「ぐぅ! さるごときがこの炎の女王の腕を!! 赦さん、絶対に赦さんぞ!」
端整な顔つきであった炎の女王だが、怒りに我を忘れたらしく魔物の本性が顔を出す。
「ビアンカ! しっかりして……!」
リョカは腕の中で意識を失っている彼女に声をかける。
まだまだ襲い掛かる炎の戦士達を風の刃で牽制しつつ、じりじりと入り口に後ずさる。彼女だけでも先に逃げてもらえば、アンディ、シドレー達とも合流しやすい。上にまだ戦える冒険者が居るのなら、援軍を求めることも考えた。
「う、うぅ……」
ようやく意識を取り戻したビアンカは致命傷にないらしく、首も火傷が見えない。
「ビアンカ、君だけでも逃げてくれ。もしできるなら他の冒険者に危険を知らせて欲しい」
「けれど……」
「いいから……」
二人がまごまごしている間に炎の女王の断ち切られた腕は炎が噴出すと同時に元に戻る。そしてさらに大きな爪のような形でリョカに襲い掛かってきた。
「く!」
一人ならまだしもビアンカを抱えてではさすがのリョカも動きが悪い。なぎ払われる爪で、外套が炎に破かれる。
「死ね! 死ね!」
「ひゃ、ひゃだるこ!」
劣勢のリョカと優勢な女王。そんな間に割って入ってきた氷の塊。ぼろぼろの様子のイレーヌは、この時ばかりは協力をすべきと女王を狙う。
「うざいわ!」
しかし簡単に片手でなぎ払われ、逆にその怒りの目に怯えて竦んでしまう。
「立てるなら逃げて!」
けれど、立ち居地からして女王が邪魔をしている位置。階段を目指すには女王をかわさなければならない。
シドレーが近くに居た炎の戦士を吹き飛ばしつつ、アンを降ろす。
アンはすっかり衰弱しきっている様子だが、それでも炎の魔物を睨み、印を組む。けれど弱々しい氷結魔法は炎の戦士を一体殴り倒す程度でしかない。
炎の女王はリョカ達がリベルたちを見捨てられないことを見抜き、炎の戦士達をけしかけ、立ちすくむイレーヌへと向かう。
「あ、あわわわ……」
「ふふふ、可愛い子だねぇ……、その顔が醜く焼かれたらどうなるかえ?」
いやらしく笑う魔物に、イレーヌは涙を零して恐怖する。
「止めろ、そいつは俺のだ……。てめえの汚い手で触れていいもんじゃねえ……」
熱と炎で無様に膝を着くリベルだったが、折れた剣を片手に女王を睨む。
「くくく、お前に何ができるってんだい? 色男さん……」
炎で滾る左手をイレーヌの顔に近づける女王。
「うおおおお!!!」
叫び声とともに突進するリベル。
「ふん、バカだねぇ……あたしだってこんな小娘より、こっちの色男のほうが好みさ」
突進してきたリベルにイレーヌを突き飛ばす。逡巡した彼を他所に、アンディを抱きしめた。
「ぐああああああ!!!」
炎の身体の女王に抱きつかれたアンディは、その熱に苦悶の表情を浮かべる。
「ふふふ、いい男の顔が炎に歪むよ。やっぱりこのほうがいいわよねぇ? 永遠に同じ表情で凍らせておくなんて、無粋もいいとこさね……」
「おい! アンディはんを放せ!」
シドレーが飛び掛るも、炎の戦士がスクラムを組んでそれを邪魔する。
「ぐ、退け!!」
至近距離だけに吹雪でダメージを与えられるようだが、炎の女王に鼓舞されたそいつはなかなかに手ごわく、容易には引き離せない。
「父さん! 父さんを放せ! ヒャダルコ!」
膝を着いていたアンはなけなしの魔力を振り絞り、水の精霊を放つ。体力の問題もさることながら、水の精霊の乏しいこの洞窟では満足な効果が得られるはずもない。あれだけの魔法を使えるアンですら、ヒャダルコは女王のドレスに触れるだけで消えてしまう。
「ヒャダルコ!」
それでも懸命に魔法を放つアン。気持ちだけが急ぎ、氷の塊も小さいまま放ってしまう。
濃度の薄くなる水の精霊達。不思議と彼女の髪から現れると指先へと向かい、空へ放たれて消える。その度に彼女の髪は青から金色に変わる。
「どうして、どうして肝心なときに! ねぇ父さん、父さんを助けてよ! お願いよ!」
泣き声に変わる彼女は錯乱しているらしく、意味のわからないことを口走る。
「リョカ……大丈夫。私は大丈夫だからアンディさんを……」
壁に寄りかかりながらビアンカが呟く。治療のかいあってか彼女の首に火傷の痕は見当たらず、一人で歩ける程度にはなっていた。
「がぁあああ……ぐはぁ! ぎゅ、ぐぇ……」
炎の抱擁にアンディの身体が燃える。
肉のこげる臭いがしだし、だんだんと声が乏しくなる。
「わかった!」
リョカは昆を取ると、炎の女王目掛けて突っ込む。阻もうとする炎の戦士などものともせず、腕を断ち切ろうと鋭く振り下ろした。
「ふふ……無駄無駄!」
しかし、断ち切られても直ぐに流れるように炎が噴出し、アンディを離さない。二度、三度と試みるも徒労に終る。
「なら!」
ならばとリョカは、炎の女王ではなくアンディを薙いだ。
「ぐふ!」
その一撃にアンディは苦悶するも、女王の抱擁から引き離す。
「無茶するで、ほんま……おい、そこの女、回復魔法をしてやれや!」
リョカは女王を相手に手一杯。シドレーも溶岩魔人相手にもぐらたたきのいたちごっこ。リベルはぱっとみて魔法の使えるタイプではなく、アンも衰弱しきった様子で動かない。
「あ、あ、あ……」
今治癒魔法が使えるのはイレーヌのみ。けれど、彼女はリベルの手を掴むと、時の精霊を集める。
「イレーヌ?」
「と、トベルーラ!」
次の瞬間二人は空の精霊に囲われ、上空へと飛び上がり、炎の女王を越えると、ビアンカを突き飛ばして階段を駆け上がる。
「な、逃げよった! ふざけんな!」
怒り心頭のシドレーは炎の戦士にしがみつかれながらも炎の女王に掴みかかる。
「ドラゴン相手に踊る趣味はなくてよ?」
「そういうなよな。こちとらアスカンタで姉さんにダンスの練習付き合わされてんねんって! ちょっとしたもんだぜ?」
がっちり腕四つで組み合うシドレー。いくら竜といえど炎で鱗が焼かれるのはきつい。表情を歪めつつ、それでもアンディの治療の時間を稼ごうと、押し切り、抱えてそのまま空へ飛び立つ。
「く、離せこのトカゲが!」
「クイッククイック、ドローやったかな? ほらほら、足元お留守ですぜ?」
足を尻尾で払うと、そのまま抱え込み、空を飛ぶ。そして壁に激突すると、そのままめり込んだ。
「レディを押さえ込む気かい!? あたしゃアンタを焦がしつくすだけだよ? いっひひひ!」
「ところがそうもいかんのよん! オレには奥の手、アスト、ロンがある、ん……で……ね。リョカ! オレ……はコ……イツをこ……う……するから、お……前らだけ……でも先……に脱出しろ……。なに、空を飛べる……俺に……は、平気……やし……」
だんだんとろれつが回らなくなるシドレー。身体が鋼鉄と貸し、炎の女王を抱いたまま壁から動かなくなる。
「くそ、離せ! 出せ! ちくしょー!」
シドレーの作戦に気付いた時にはもう遅く、炎の女王は彼の魔力が切れるまで封じられることとなった。
続く
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「しょうがないじゃない……。あいつらは父さんの……」
涙でにじむ視界の中、伸ばした髪が焦げる臭いがした。水の精霊が炎に逃げ出し、青い髪は黒くこげているのだ。
「やだなぁ、母さんとおそろいの髪、気に入ってるのに……」
縮れていく毛を手繰りながら、鼻を啜る。けれどそれはうれし涙のさせるもの。
「お~い、アン! リョカ!」
ふわっと風が彼女を撫でた。
「あらシドレー……なに? 勝利の余韻に浸ってるんだけど……」
「はいはい、そういうのはサラボナに帰って一緒にやりましょうね」
ぼんやりしたままの二人を促すシドレー。リョカはアンの重みにつぶれているらしく、まだ立てそうにないので、無理やり背負っていた。
「うん。そうだね。そうしなよ」
「ん~そうやな。お前らは今回の功労者なんやし、二人の結婚式に参加したらどうなん? アンディはんの知り合いなんやろ?」
「え? いいのかな?」
「かまわんやろ。オレは無理やけどな」
「僕も無理かな? ほら、ぼろぼろだし、場違いだし」
「はは、そうやな。ま、ちょいとくらいがめてもええかな? こんだけ苦労したんやし」
「シドレーはそればっかり……」
シドレーはアンに背中を向け、乗るように示す。いくらアンでもまだ魔力が回復しておらず、自力で戻ることができそうにない。
「ありがとう……」
「え? おい……なんか素直すぎて気味わるいな……」
二人を背負って飛ぶシドレーは、低速で階段を目指す。
「別に普通よ……。そうだ、リョカに絵を描いてもらおうよ。二人の結婚式の絵」
「ん? ああ、それもええな。絵だけにな……」
「なにそれ、そんなんじゃ誰も笑わないよ? デボラおばさんくらいじゃない?」
「デボラはんは笑い上戸やからな……? いやいやいや、まだあん人おばさんやないから」
「あ、そうだ……った。でもいいんだ。もういいの」
「なにがや?」
「だって、これで終るんだもん。私の旅」
「ほうか? そら良かったな……。ま、今みたいにおしとやかな姉ちゃんのふりすれば、いい人の一人も見つかるで」
「うん、カッコイイ人がいいな……。お父さんみたいに……、ああ、こっちのお父さんでもいいかな?」
「おいおい、二人もいらんやろ。余っておっても、オレはいらんで?」
「あげないよ~だ」
「なんじゃそりゃ……ったくもう……?」
広い背中の上で眠る前のとりとめの無い話をするつもりのアン。けれど、シドレーの急降下がそれを制す。
「ちょっと、シドレー!?」
彼女もその様子にだるい身体に鞭を打つ。
「なんやあいつら!」
シドレーの背中をはいよじり見た先には、下りてきた坂道に炎の戦士を引き連れた異形の魔物が居た。
「あれは!」
風にゆらめくような白く黄色くはためく炎のドレス。灼熱の肌と燃える炎の髪の毛を振り乱す不敵な存在。その魔物は左手にビアンカの首を掴んでいた。
**
リョカはシドレーの背中から飛び降りると、新たに現れた炎の魔物に飛び掛る。
「ふん!」
しかし、炎の魔物はビアンカを盾にしてリョカを制し、さらに前蹴りで吹っ飛ばす。
「リョカさん!」
新手の出現に奮闘中のアンディは、折れたレイピア片手と氷結魔法で炎の戦士をなぎ払う。
「平気です、それより!」
炎の魔物らしく、その身体も高温らしい。ビアンカのドレスの端が彼女の身体に触れるたびに変色していくのが見える。そんな魔物に首をつかまれているビアンカが無事とは思えない。リョカは焦りに注意を掻き、碌に作戦も立てず、周りの炎の戦士達を振り払う。
「ぐ! は! てりゃ!」
烏合の衆に過ぎない炎の戦士はリョカの気迫に圧されて、昆の一振りでなぎ倒される。リョカも手加減している暇もなく、膂力の限り、正面、腹と急所を狙う。
「ギャ! ぎゃ!」
額当てを打たれた炎の戦士はそのまま昏倒し、溶岩の海へと投げ出される。
また一体、また一体と鬼神のごとく駆けるリョカに、炎の魔物は後ずさる。
「ビアンカを放せ!」
リョカはビアンカを気にしながら昆を突き出す。どうやら大した戦闘技術はないらしく、リョカの連撃には圧されがち。けれど、ビアンカという盾に攻めきれない。一進一退を繰り返していた。
「ふん、この炎の女王が狙っていた指輪を奪おうなんて、たかが地を這う虫けらにしてはオイタがすぎるんじゃないかえ?」
片手に炎を掲げる炎の女王。リョカは身構える素振りも見せず、果敢に攻める。
「く! この野蛮なサルめ! ベギラマ!」
炎の魔物らしく炎の精霊を集めると、閃熱をリョカに向かって放つ。けれど、中級閃光魔法程度に怯むリョカではなく、さらにマホステで魔法自体届かない。
「でりゃあ!」
「ひっ!」
打ち込むと見せかけて、足元に昆を突きたてる。インパクトに目を瞑った女王は、訪れない衝撃にちらりと目を開ける。しかしそこにリョカは居らず、突き立てられた昆があるのみ。そして背後で着地音。
「いつのまに!」
棒高跳びの要領で飛び越えたリョカは背後に居た。彼は腰に隠した刃のブーメランを両手で構えると、女王の左腕に鋭く振り下ろす。
「ぐひゃぁ!!」
ビアンカを掴んでいた腕は断ち切られ、出血の代わりに炎が噴出した。
「ぐぅ! さるごときがこの炎の女王の腕を!! 赦さん、絶対に赦さんぞ!」
端整な顔つきであった炎の女王だが、怒りに我を忘れたらしく魔物の本性が顔を出す。
「ビアンカ! しっかりして……!」
リョカは腕の中で意識を失っている彼女に声をかける。
まだまだ襲い掛かる炎の戦士達を風の刃で牽制しつつ、じりじりと入り口に後ずさる。彼女だけでも先に逃げてもらえば、アンディ、シドレー達とも合流しやすい。上にまだ戦える冒険者が居るのなら、援軍を求めることも考えた。
「う、うぅ……」
ようやく意識を取り戻したビアンカは致命傷にないらしく、首も火傷が見えない。
「ビアンカ、君だけでも逃げてくれ。もしできるなら他の冒険者に危険を知らせて欲しい」
「けれど……」
「いいから……」
二人がまごまごしている間に炎の女王の断ち切られた腕は炎が噴出すと同時に元に戻る。そしてさらに大きな爪のような形でリョカに襲い掛かってきた。
「く!」
一人ならまだしもビアンカを抱えてではさすがのリョカも動きが悪い。なぎ払われる爪で、外套が炎に破かれる。
「死ね! 死ね!」
「ひゃ、ひゃだるこ!」
劣勢のリョカと優勢な女王。そんな間に割って入ってきた氷の塊。ぼろぼろの様子のイレーヌは、この時ばかりは協力をすべきと女王を狙う。
「うざいわ!」
しかし簡単に片手でなぎ払われ、逆にその怒りの目に怯えて竦んでしまう。
「立てるなら逃げて!」
けれど、立ち居地からして女王が邪魔をしている位置。階段を目指すには女王をかわさなければならない。
シドレーが近くに居た炎の戦士を吹き飛ばしつつ、アンを降ろす。
アンはすっかり衰弱しきっている様子だが、それでも炎の魔物を睨み、印を組む。けれど弱々しい氷結魔法は炎の戦士を一体殴り倒す程度でしかない。
炎の女王はリョカ達がリベルたちを見捨てられないことを見抜き、炎の戦士達をけしかけ、立ちすくむイレーヌへと向かう。
「あ、あわわわ……」
「ふふふ、可愛い子だねぇ……、その顔が醜く焼かれたらどうなるかえ?」
いやらしく笑う魔物に、イレーヌは涙を零して恐怖する。
「止めろ、そいつは俺のだ……。てめえの汚い手で触れていいもんじゃねえ……」
熱と炎で無様に膝を着くリベルだったが、折れた剣を片手に女王を睨む。
「くくく、お前に何ができるってんだい? 色男さん……」
炎で滾る左手をイレーヌの顔に近づける女王。
「うおおおお!!!」
叫び声とともに突進するリベル。
「ふん、バカだねぇ……あたしだってこんな小娘より、こっちの色男のほうが好みさ」
突進してきたリベルにイレーヌを突き飛ばす。逡巡した彼を他所に、アンディを抱きしめた。
「ぐああああああ!!!」
炎の身体の女王に抱きつかれたアンディは、その熱に苦悶の表情を浮かべる。
「ふふふ、いい男の顔が炎に歪むよ。やっぱりこのほうがいいわよねぇ? 永遠に同じ表情で凍らせておくなんて、無粋もいいとこさね……」
「おい! アンディはんを放せ!」
シドレーが飛び掛るも、炎の戦士がスクラムを組んでそれを邪魔する。
「ぐ、退け!!」
至近距離だけに吹雪でダメージを与えられるようだが、炎の女王に鼓舞されたそいつはなかなかに手ごわく、容易には引き離せない。
「父さん! 父さんを放せ! ヒャダルコ!」
膝を着いていたアンはなけなしの魔力を振り絞り、水の精霊を放つ。体力の問題もさることながら、水の精霊の乏しいこの洞窟では満足な効果が得られるはずもない。あれだけの魔法を使えるアンですら、ヒャダルコは女王のドレスに触れるだけで消えてしまう。
「ヒャダルコ!」
それでも懸命に魔法を放つアン。気持ちだけが急ぎ、氷の塊も小さいまま放ってしまう。
濃度の薄くなる水の精霊達。不思議と彼女の髪から現れると指先へと向かい、空へ放たれて消える。その度に彼女の髪は青から金色に変わる。
「どうして、どうして肝心なときに! ねぇ父さん、父さんを助けてよ! お願いよ!」
泣き声に変わる彼女は錯乱しているらしく、意味のわからないことを口走る。
「リョカ……大丈夫。私は大丈夫だからアンディさんを……」
壁に寄りかかりながらビアンカが呟く。治療のかいあってか彼女の首に火傷の痕は見当たらず、一人で歩ける程度にはなっていた。
「がぁあああ……ぐはぁ! ぎゅ、ぐぇ……」
炎の抱擁にアンディの身体が燃える。
肉のこげる臭いがしだし、だんだんと声が乏しくなる。
「わかった!」
リョカは昆を取ると、炎の女王目掛けて突っ込む。阻もうとする炎の戦士などものともせず、腕を断ち切ろうと鋭く振り下ろした。
「ふふ……無駄無駄!」
しかし、断ち切られても直ぐに流れるように炎が噴出し、アンディを離さない。二度、三度と試みるも徒労に終る。
「なら!」
ならばとリョカは、炎の女王ではなくアンディを薙いだ。
「ぐふ!」
その一撃にアンディは苦悶するも、女王の抱擁から引き離す。
「無茶するで、ほんま……おい、そこの女、回復魔法をしてやれや!」
リョカは女王を相手に手一杯。シドレーも溶岩魔人相手にもぐらたたきのいたちごっこ。リベルはぱっとみて魔法の使えるタイプではなく、アンも衰弱しきった様子で動かない。
「あ、あ、あ……」
今治癒魔法が使えるのはイレーヌのみ。けれど、彼女はリベルの手を掴むと、時の精霊を集める。
「イレーヌ?」
「と、トベルーラ!」
次の瞬間二人は空の精霊に囲われ、上空へと飛び上がり、炎の女王を越えると、ビアンカを突き飛ばして階段を駆け上がる。
「な、逃げよった! ふざけんな!」
怒り心頭のシドレーは炎の戦士にしがみつかれながらも炎の女王に掴みかかる。
「ドラゴン相手に踊る趣味はなくてよ?」
「そういうなよな。こちとらアスカンタで姉さんにダンスの練習付き合わされてんねんって! ちょっとしたもんだぜ?」
がっちり腕四つで組み合うシドレー。いくら竜といえど炎で鱗が焼かれるのはきつい。表情を歪めつつ、それでもアンディの治療の時間を稼ごうと、押し切り、抱えてそのまま空へ飛び立つ。
「く、離せこのトカゲが!」
「クイッククイック、ドローやったかな? ほらほら、足元お留守ですぜ?」
足を尻尾で払うと、そのまま抱え込み、空を飛ぶ。そして壁に激突すると、そのままめり込んだ。
「レディを押さえ込む気かい!? あたしゃアンタを焦がしつくすだけだよ? いっひひひ!」
「ところがそうもいかんのよん! オレには奥の手、アスト、ロンがある、ん……で……ね。リョカ! オレ……はコ……イツをこ……う……するから、お……前らだけ……でも先……に脱出しろ……。なに、空を飛べる……俺に……は、平気……やし……」
だんだんとろれつが回らなくなるシドレー。身体が鋼鉄と貸し、炎の女王を抱いたまま壁から動かなくなる。
「くそ、離せ! 出せ! ちくしょー!」
シドレーの作戦に気付いた時にはもう遅く、炎の女王は彼の魔力が切れるまで封じられることとなった。
続く
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