「やったね! サトミン! 予選通過おめでとう」
「うん。ありがと」
予選通過は予定通り。だからかな、クールに振舞える。けど、なんかお腹が変だ。
別に痛いわけじゃなくって、なんか重い。生理はまだ先だし、お通じの方だって最近は調子がいい。となると、なんか変な病気かしら? まさかね……。
それはそうと島本の奴、一体どこで油売ってるのよ。さっきは調子イイコト言ってさ、結局応援に来ない気?
む~……なんかムカツクな。当然約束を破られたことについてだけどね。
「サトミン、水分は? タオルは?」
その代わりといっちゃなんだけど、理恵が何かと世話を焼いてくれる。
そういえば何でこの子は試合に出なかったんだろ?
「里美、やったね。決勝がんばってよ」
綾が激励してくれるけど、彼女は昨日既に入賞を果たしている。なんていうか勝者の余裕なのかしら? きっとあたしも入賞果たしてあんたに並ぶんだから!
はは、変なこと考えてる。
あたしってどうしてこう悪いほう悪いほうって考えちゃうんだろうなあ。
んでも、これはまだ悪いことじゃない。負けまいっていう強気の表れだもの。
「そういえば島……マネージャーは?」
「え? あ、そういえばいないね。どこいったんだろ……」
きょろきょろと辺りを見渡す理恵の様子からは、嘘をついているように見えない。
「なんか備品がどうのとかで倉庫にいったっぽいけど?」
「え? なんで? ここの倉庫の備品を使っていいのかな?」
それはそうなんだけど、本人に聞いてもらいたい。
そうこうしているうちにも時間は過ぎていく。もうあと数分で決勝が始まっちゃうし、もう、あとで絶対にとっちめてやるんだから!
もちろん、マネージャーの仕事をサボったことをね……。
**――**
倉庫を出た頃には既に女子八百メートルの予選が終わっていた。
情事に耽ってすっぽかした等と知れたら……と思いつつ、グラウンドへと向った。
四百メートルトラックに一列に並ぶ選手達。色とりどりのユニフォームの中に里美を探す。けれど前にいる観客のせいでそれも出来ない。
遠く方で空気砲の合図がした。それと同時に周りが一斉に湧き立つ。
歓声と爆音に驚きながらも、紀夫は人ごみを掻き分けて前に出る。
青のユニフォーム、黄色のユニフォーム、そして……赤のユニフォームには見覚えがある。最近毎日洗濯させられていたものを見間違えるはずがない。
里美は今七、八人に抜かされている。せっかく決勝に進んだのだ。入賞してもらいたい。そしてその労をねぎらってあげたい。
「里美! がんばれ!」
ショートカットの髪が揺れたのが分かる。遠目にその表情は見えないが、それでも自分の応援が届いた気がするのは自惚れではない。
ただ、彼女らが走りぬけた後、思わず呼び捨てにしていたことを恥じる気持ちが湧いてきたのだが……。
**――**
一、二、三……、まだあんなにいるよ。こいつら全部抜かさないと入賞できないけど、やっぱ無理かな? レベルが足りないっていうの? 予選とは大違いだわ。
まあ今回は試合になれるってことでね。
……!?
コーナーを曲がったとき、一瞬だけど紀夫が見えた。
なんであそこにいるの? 桜蘭の応援席は逆じゃん。つか思いっきり他校だし、ジャージの色! 浮いてるっての。
まったく何してるんだかね……。
走っている最中に余計なことを考えるのはしたくない。もちろんペース配分とか戦略はあるけど、でも、なんで島本のことなんか?
「里美! がんばれ!」
ほら、今聞こえた! なんでだろ、雑踏の中の一声じゃん。空耳でしょ? でも、きっとあいつの声だと思う。そう信じたいな。
……ふふ、よし、特別にみせてあげようじゃない? あたしの本気。つか、惚れるなよ!
第三コーナーを曲がるとき、あたしはいわゆる本気ってヤツになった!
**――**
霧雨の舞うグラウンドには閑散とした空気が醸されていた。
今はまだ本降りになる気配がないが、日が沈む頃には傘マークが覆っていた天気予報を予定に入れてのプログラムなのでテントなどもそうそうに撤去されていった。
里美は一人グラウンドを隅から見つめていた。
表彰式は後日改めて市の体育館にて行われる。
大会日程の冊子に小さく書かれていた規定とはいえ、どこか納得がいかなかった。
女子八百メートルで八位入賞を果たした里美は学校宛に賞状が送付されるだけで、どこか実感が薄かった。
せめて歓声に包まれるのならまだしも、霧雨のせいで皆それどころではない。皆荷物を纏めると帰りのバス亭へと行ってしまった。
――つまんないの……。
並み居る強豪を抑えて……というほどでもないが、自分なりに結果を出したのだ。せめて部員一同から祝福の言葉が聞きたかったといっても、それは我侭ではない。
そう考えるのは彼女が総体二日目の主人公であるからで、脇役を押し付けられた側にしてみれば雨に濡れてまで演じるメリットも無い。
ただ……、
「風邪引くよ……」
すっと差し出される緑の陰は折りたたみらしく、二人が入るには小さかった。
「平気だよ。コレぐらい」
風に舞う雨粒は傘のある無しに関わらずジャージに染み込んでいく。競技後の火照った体も既に冷えており、張り詰めた筋肉が痛かった。
「駄目だよ。運動後に体を冷やすと怪我しやすいから」
「なによ。本で読んだことじゃない」
「うん。だけど、マネージャーだし……」
振り返っても彼と目線が合わない。同じぐらいの背丈だと思っていたけれど、五センチ程度背が高いらしい。里美は顎を引いて上目遣いになり紀夫を見る。
「何しに来たのよ。荷物はいいの?」
「紅葉先輩がやってくれるから、君は里美ちゃんを探してきなさいだってさ」
「へー、あの先輩が……」
紅葉が気を遣ってくれたことに驚きながらも、彼の自発的な行動でないことに嘆息する。
「里美さん、カッコよかったよ」
「え? あ、うん……当たり前じゃん」
「昔のことは結果しか知らないけど、生で見た里美さんの走り、躍動感があるっていうの? 迫力があったなあ」
まるでテレビ中継の冴えないコメンテーターと思いつつ、賞賛の声が嬉しい。
「来年は全国かな? 里美さんの目標はオリンピック?」
上機嫌な同級生と違って空はぐずつきを増す。
「はっはは、そんなの無理だよ。でも、全国は行ってみたいな」
雨粒の距離に半比例して傘の中が窮屈になる。
「里美さんならいけるさ。俺も応援するからがんばってよ」
もしかしたら空がプロデュースしているのかもしれない。
「そうね、これからもびしびしこき使うから、そのつもりでいてよ紀夫殿?」
「こちらこそ、里美様」
自然に呼び合える仲になれたのを、二人は意識的に忘れることにした……。
続き
それはそうと島本の奴、一体どこで油売ってるのよ。さっきは調子イイコト言ってさ、結局応援に来ない気?
む~……なんかムカツクな。当然約束を破られたことについてだけどね。
「サトミン、水分は? タオルは?」
その代わりといっちゃなんだけど、理恵が何かと世話を焼いてくれる。
そういえば何でこの子は試合に出なかったんだろ?
「里美、やったね。決勝がんばってよ」
綾が激励してくれるけど、彼女は昨日既に入賞を果たしている。なんていうか勝者の余裕なのかしら? きっとあたしも入賞果たしてあんたに並ぶんだから!
はは、変なこと考えてる。
あたしってどうしてこう悪いほう悪いほうって考えちゃうんだろうなあ。
んでも、これはまだ悪いことじゃない。負けまいっていう強気の表れだもの。
「そういえば島……マネージャーは?」
「え? あ、そういえばいないね。どこいったんだろ……」
きょろきょろと辺りを見渡す理恵の様子からは、嘘をついているように見えない。
「なんか備品がどうのとかで倉庫にいったっぽいけど?」
「え? なんで? ここの倉庫の備品を使っていいのかな?」
それはそうなんだけど、本人に聞いてもらいたい。
そうこうしているうちにも時間は過ぎていく。もうあと数分で決勝が始まっちゃうし、もう、あとで絶対にとっちめてやるんだから!
もちろん、マネージャーの仕事をサボったことをね……。
**――**
倉庫を出た頃には既に女子八百メートルの予選が終わっていた。
情事に耽ってすっぽかした等と知れたら……と思いつつ、グラウンドへと向った。
四百メートルトラックに一列に並ぶ選手達。色とりどりのユニフォームの中に里美を探す。けれど前にいる観客のせいでそれも出来ない。
遠く方で空気砲の合図がした。それと同時に周りが一斉に湧き立つ。
歓声と爆音に驚きながらも、紀夫は人ごみを掻き分けて前に出る。
青のユニフォーム、黄色のユニフォーム、そして……赤のユニフォームには見覚えがある。最近毎日洗濯させられていたものを見間違えるはずがない。
里美は今七、八人に抜かされている。せっかく決勝に進んだのだ。入賞してもらいたい。そしてその労をねぎらってあげたい。
「里美! がんばれ!」
ショートカットの髪が揺れたのが分かる。遠目にその表情は見えないが、それでも自分の応援が届いた気がするのは自惚れではない。
ただ、彼女らが走りぬけた後、思わず呼び捨てにしていたことを恥じる気持ちが湧いてきたのだが……。
**――**
一、二、三……、まだあんなにいるよ。こいつら全部抜かさないと入賞できないけど、やっぱ無理かな? レベルが足りないっていうの? 予選とは大違いだわ。
まあ今回は試合になれるってことでね。
……!?
コーナーを曲がったとき、一瞬だけど紀夫が見えた。
なんであそこにいるの? 桜蘭の応援席は逆じゃん。つか思いっきり他校だし、ジャージの色! 浮いてるっての。
まったく何してるんだかね……。
走っている最中に余計なことを考えるのはしたくない。もちろんペース配分とか戦略はあるけど、でも、なんで島本のことなんか?
「里美! がんばれ!」
ほら、今聞こえた! なんでだろ、雑踏の中の一声じゃん。空耳でしょ? でも、きっとあいつの声だと思う。そう信じたいな。
……ふふ、よし、特別にみせてあげようじゃない? あたしの本気。つか、惚れるなよ!
第三コーナーを曲がるとき、あたしはいわゆる本気ってヤツになった!
**――**
霧雨の舞うグラウンドには閑散とした空気が醸されていた。
今はまだ本降りになる気配がないが、日が沈む頃には傘マークが覆っていた天気予報を予定に入れてのプログラムなのでテントなどもそうそうに撤去されていった。
里美は一人グラウンドを隅から見つめていた。
表彰式は後日改めて市の体育館にて行われる。
大会日程の冊子に小さく書かれていた規定とはいえ、どこか納得がいかなかった。
女子八百メートルで八位入賞を果たした里美は学校宛に賞状が送付されるだけで、どこか実感が薄かった。
せめて歓声に包まれるのならまだしも、霧雨のせいで皆それどころではない。皆荷物を纏めると帰りのバス亭へと行ってしまった。
――つまんないの……。
並み居る強豪を抑えて……というほどでもないが、自分なりに結果を出したのだ。せめて部員一同から祝福の言葉が聞きたかったといっても、それは我侭ではない。
そう考えるのは彼女が総体二日目の主人公であるからで、脇役を押し付けられた側にしてみれば雨に濡れてまで演じるメリットも無い。
ただ……、
「風邪引くよ……」
すっと差し出される緑の陰は折りたたみらしく、二人が入るには小さかった。
「平気だよ。コレぐらい」
風に舞う雨粒は傘のある無しに関わらずジャージに染み込んでいく。競技後の火照った体も既に冷えており、張り詰めた筋肉が痛かった。
「駄目だよ。運動後に体を冷やすと怪我しやすいから」
「なによ。本で読んだことじゃない」
「うん。だけど、マネージャーだし……」
振り返っても彼と目線が合わない。同じぐらいの背丈だと思っていたけれど、五センチ程度背が高いらしい。里美は顎を引いて上目遣いになり紀夫を見る。
「何しに来たのよ。荷物はいいの?」
「紅葉先輩がやってくれるから、君は里美ちゃんを探してきなさいだってさ」
「へー、あの先輩が……」
紅葉が気を遣ってくれたことに驚きながらも、彼の自発的な行動でないことに嘆息する。
「里美さん、カッコよかったよ」
「え? あ、うん……当たり前じゃん」
「昔のことは結果しか知らないけど、生で見た里美さんの走り、躍動感があるっていうの? 迫力があったなあ」
まるでテレビ中継の冴えないコメンテーターと思いつつ、賞賛の声が嬉しい。
「来年は全国かな? 里美さんの目標はオリンピック?」
上機嫌な同級生と違って空はぐずつきを増す。
「はっはは、そんなの無理だよ。でも、全国は行ってみたいな」
雨粒の距離に半比例して傘の中が窮屈になる。
「里美さんならいけるさ。俺も応援するからがんばってよ」
もしかしたら空がプロデュースしているのかもしれない。
「そうね、これからもびしびしこき使うから、そのつもりでいてよ紀夫殿?」
「こちらこそ、里美様」
自然に呼び合える仲になれたのを、二人は意識的に忘れることにした……。
続き