綾は実力があるが、陸上部の中では浮いた存在でもある。
それは強化合宿の件について一層浮き彫りとなった。
「そういう集団行動とか苦手なんだよね……」
前園美奈子の誘いに対し、日吉綾の答えは簡潔であり、その乱暴な言葉遣いに里美は目を丸くしていた。
陸上部は運動部。つまり体育会系。学年的には美奈子の方が一つ上。もともと綾自体口が丁寧なほうではなく、また美奈子が彼女より頭一個半背が小さいせいか違和感がない。
けれど、
「……日吉ってさあ、生意気じゃない?」
「……うん、そう思う」
「……だよね、やっぱしい」
練習後の部室ではそんな会話が飛び交っていた。
「……サトミン、あやっちヤバイかもね……」
「……そだね」
汗を拭きながらこっそり会話するが、飛び火しないことを祈るしかない。
「はあ……アンタたちいいかげんにしなよ」
陰口大会に水を差したのは意外にも美奈子の一声。むしろ一番怒って良いはずの彼女が何故? と皆言葉を失っている。
「綾が生意気なのはわかるよ。けどあの子はかなり実力あるし、正直ここで止まるべきじゃないと思うの。まあ、それで我侭を許せっていうのは別だけどさ、でも足を引っ張るのはやめてあげてよ」
十七になって百五十そこそこしかない背丈の美奈子はわき腹に手を着いて胸を張る。
「あ、いや、美奈子がそういうならいんだけどさ。ほら、やっぱケジメってあるじゃん? 他の後輩達が真似しても困るし……」
「あ、その、先輩たちに逆らおうなんてこれっぽっちも……」
揉み手をする勢いでへりくだる里美に理恵は笑いを堪えつつ彼女に倣う。
「とにかく、陰口とか禁止ね。いい?」
「はーい」
しぶしぶ返事をするも美奈子の背に向ってベーと舌を出す二年の部員。とはいえ、風紀に一段と厳しい部長が来ても面倒だと、帰りに寄り道する甘味どころへと話題をそらす。
「おじょうちゃま先輩、カッコイイね」
「うん。そだね」
背が低くお尻もオッパイも小さいおじょうちゃま先輩と揶揄される美奈子があそこまで吼えるとは思わなかった。
「やっほー里美ちゃん。今日もオッパイ大きくなった?」
「きゃあ!」
背後から両の乳房を持ち上げられる。犯人は例によって例のごとくイジワルな先輩だが……。
「理恵ちゃんのお尻、張りがあって羨ましいわ~」
「やーん、先輩のエッチィ!」
部員に対するセクハラだけは入念な先輩を見ると美奈子がとても頼もしい存在に思える里美であった。
**――**
夕日が沈む頃、自転車と二人分の影が伸びていた。
「……でさ、なんで綾ってあんなんなんだろうね」
「うん。さすがに俺も驚いたよ」
紀夫の印象だと綾はあまり人と関わりを持たないタイプだった。最初こそ新人素人マネージャーだからと思っていたが、二ヶ月近くたってそれが彼女の素であることを知った。
「でもさ、アヤッチってそういうところがクールなんだよね」
自転車の荷台に座る理恵がひょっこり顔を出す。彼女は練習中に足を捻ったと言い張り、彼に送っていってもらう約束をしていた。もちろん、紀夫が里美を送っていくことにはにやついていたが。
「クールなのはいいけど、あたし綾のこと良く知らないからなあ。なんかどう付き合っていけばいんだか……」
「そうだね~、中学の頃はもっと普通だったんだけど、受験の頃かな? なんか雰囲気変わったのよ」
受験シーズンなら誰でも変わるだろう。特に内面と外面にギャップがある場合は。
「んでも、あと二人、誰がきてくれるのかしら? 心配だわ。っていうか、理恵は無理なの?」
合宿参加希望を出したのは他に悟と紅葉。これは里美にとってあまり嬉しい内容ではなく、とはいえ一歩上のステージでの指導を受けるべくと飲み込む。
「ゴメンサトミン、あたし補習があるから」
理恵は特に部活に力を入れていないのは知っている。おそらく補習がなくとも参加しないのだろう。
「あーあ、なんか大変になっちゃった。んじゃね、また明日……」
がっくりと肩を落とす里美は例の十字路を曲がると、とぼとぼと歩いていく。
「あ、送っていくよ」
「いい。君は理恵を送っていきなよ。っていうか、変なことしちゃだめだよ」
返す言葉にも力が無く、紀夫は早まった選択をさせたかもと内心後悔していた。
「変なことだって。ウフフ、この前されちゃったしぃ……」
若気の至りを突かれると恥ずかしさと嬉しさ、照れが出てくる。そのにやけた面を見せまいと紀夫は自転車に跨り、必死で踏ん張り始めた。
「あん、はやーい」
おなかに回された手と膨らまない胸を背中に感じながら、紀夫は来た道を引き返していた。
**――**
例の公園には先客がいた。今はまだ談笑している程度だが、あと三十分もしないうちに日が沈むだろう。その後はわからない。
「あーあ、人いるし……」
「人いるって、別に公園だしねえ」
石段に座りながらペットボトルのジュースを煽る二人。
「せっかくノリチンと……」
肩にもたれる格好の理恵は人差し指で紀夫の頬をぐりぐりしだす。
「もう、理恵さんてば……」
「だって、テスト中とかノリチン冷たいんだもん」
「冷たいって、ちゃんと勉強教えてあげたでしょ?」
テスト前の二週間、放課後は常に三人でお勉強会。当然、保健体育の勉強を進める暇もなく、理恵にはやや退屈な日々だった。
「ね、理恵足が痛いの……」
「え、ホントに捻ってたの?」
「うん。バーに引っかかってね、靴下脱いだら痣になってた」
理恵は赤い紐靴を脱ぎ、暑そうな靴下を捲り始める。
無駄な毛の一本も無い彼女の右足は健康的に日焼けをしていたが、薄っすら見える痣が痛々しかった。
「ホントだ。保健室に行ったほうが良かったね」
「コレぐらい残らないよ。でも、ジンジンしてくるよ」
「どうすればいいかな? 冷やす?」
温くなったペットボトルを当てたところで患部がぬれるだけ。特に腫れが引くわけでもない。
「いたいのいたいのとんでけ~ってしてよ」
「え? やだよ……」
「え~、マネージャーなのにしてくれないの?」
「マネージャでもしないです」
「じゃあ理恵のここ、痛いまんまだ。きっとこの痣ずっとのこっちゃうんだろうなあ。エッチするときとか男の子に哂われちゃってさ、あーあ理恵ってば不幸……」
腕で顔を隠してバレバレの泣きまねをする理恵に、紀夫はどう対処したものかと頭を捻る。
「じゃあ俺はどうしてあげればいいのさ?」
「んとねえ、足、舐めて……そしたら許してあげる」
いつの間にか治療から贖罪に変わっていたが、ダダをこねる理恵に敵うはずもなく、またスカートから見える美味しそうな太腿を見てしまったからには理性のブレーキもオイルが抜けてしまう。
「それじゃ、するよ……」
石段を少し上がれば天下の往来。しかし、夏の日にしては早い夕暮れが二人を隠している。
「……ん、……あん」
ふくらはぎを揉みながら舌を痣にそって這わせる。
塩の味がする。多分シャワーを浴びていないのだろう。
細いながらも筋肉のある足は弾力があり、それを楽しむために歯を立てたくなる。けれどそれでは別の痣をつけることになる。
自分の欲望の本末転倒具合に自嘲しながらも、紀夫は彼女の脚を唾液で汚していた。
「ふぅ、あぁ……ん。ん、んふふ……なんか興奮するね……」
「ああ……」
「あ、今あっちのカップルキスしてた……」
「へえ……はむ、へろろ……んちゅ、ちゅぱっ……」
塩気が引くと、酸味が目立つようになる。どことなく汗臭く、苦みがあり、なのにやめられなかった。
「ん、もう、ノリチン、ちょっとは楽しもうよ」
つむじの辺りをゴシャゴシャとかき回されたので顔を上げる。
「だって我慢なんかできないし」
前歯を押し付けるようにして愛撫すると別の痕が着いてしまう。けれど紀夫はその数を増やす作業に熱心だった。
「ん、んぅ……、ねえ、抱いてよ」
「うぇ?」
突然の要求に思わず顔を上げる。
西の空は青と朱が混ざり、理恵の表情は影で見えない。どんな表情で自分を誘っているのだろう。それが気になった。
「今エッチなこと考えたでしょ。でもエッチじゃないよ。ただ抱きしめるだけだよ」
「あ、なんだ。そっか」
心の比率ではがっかりする気持ちが半分以上を占め、それが露骨に表れるのが情けない。
石段に座りなおし、理恵の両脇に手を回して膝の上に乗せる。あとは彼女のほうから身身体を被せてきた。
フンワリした花の香は季節はずれの金木犀。そして汗のすえた匂いが混ざり、お世辞にも心地よいとはいえなかった。
「んぅ……」
それでもきつく抱きしめ、彼女の放つ芳香を吸い込んでしまう彼がいた。
「やあだあ、そんなに鼻息あらくしないでよ……恥ずかしい」
肩に添えた手をぎゅっと握り、胸元の辺りで呟く理恵。彼女はそれを嫌がる風も無く、この擬似恋人同士の抱擁を楽しんでいるように見えた。
「これでいいの?」
下半身の隆起が収まらない紀夫は不満気に問うが、理恵は二度三度頷くだけで動こうとしない。
触れ合う肘や膝、太腿はその度にびくんと跳ねる。それも周囲の闇が深くなればおのずとこすり付ける格好になる。
――暑い。
日が暮れて間もない時間帯、風が吹いても生ぬるく不快。なのに抱き合う格好を強いられる。
――でも、こうしてたい。
制服の衣擦れが気になるものの、半そでからこぼれる汗でしっとりする二の腕が触れると、セックスとは違う興奮を覚える。
「ふぅ、ノリチン汗臭いや……」
上体を起こす理恵は紀夫を見下ろしながらため息をつく。
「なんだよ、理恵さんだって……」
「理恵だって?」
「いい匂いだった」
汗と趣味の悪い香水を嗅がされておきながらも下半身はしっかり女に反応しており、まだ彼女を抱いていたい気持ちがあった。
「そう? 理恵はあんまり好きじゃないけど……ノリチンは好きなの?」
「いや、理恵さんのが……」
「なにそれ? 理恵が臭うってこと?」
「いや、その悪い意味じゃなくて、すごく、そうだ! フェロモンってやつじゃない?」
「フェロモン? ふ~ん、まあいいや」
腑に落ちないといった様子で首を傾げる理恵だったが、もう気が済んだらしく隣にこしを下ろす。
飲みかけのジュースを変わりばんこに飲むこと数回、話すこともなくただ時間を無為に過ごす。
流行の服、化粧など知らない。ドラマや小説、映画や漫画も互いの趣味を知らない。遊びに行くなら多分互い違いの方へ行くのだろう二人ではそれもしょうのないこと。
「あ、あのさあ、理恵さんは合宿参加しないの?」
最初に沈黙に耐えられなかったのは紀夫のほう。彼は唯一の共通の話題である部活のことを切り出した。
「うん。だってあたしはそこまで陸上する気ないもん」
「そうなんだ」
「それにそのほうがノリチンと遊べるじゃん?」
――これも遊んでることになるんだ。
「でも、里美さん大丈夫かな。紅葉先輩参加してたし、あ、そういえば日吉さんは何で参加したくないんだろ」
「そうだね。紅葉先輩変だからね~。ただ、綾は多分アレを気にしてるのかな?」
「アレ?」
「ねえ、ノリチン?」
理恵に向き直ると彼女のにっこりとした笑顔がずいと前に出る。それこそキスができる距離であり、ピンクのリップがきらめくそれは異常に魅力的であり、南国のフルーツを剥き身にしたような錯覚を覚える。
今の雰囲気ならキスまでいける。そしたら、そのまま?
「うん……? ぎゃぅ!」
続く刺激は快感ではなく鋭い痛み。露出した肌に思い切り理恵の爪が食い込んでいた。
「二人でいるのに他の女の話はしないの。マナー違反よ?」
「ご、ごめんなさい……」
「今日のノリチン五十点ね。まだまだ足りません!」
理恵に赤点を言い渡される紀夫は自己の引き出しの無さを嘆きながら、振り回される自身の不運を嘆く。
「あ、ねえ、日吉さんのアレって?」
「まだ言うのかしら?」
立ち上がる理恵は腰に手を当てて睨みつける。といってもどこかしまりがなく、口の端がニィッと上がっている。
「あ、その……ごめん。何話していいかわからなくって」
「普通にしてればいいじゃん」
「理恵さん、可愛いし……、一緒にいて意識しないなんて無理だよ」
「ん、まあそうかしら。そうね。しょうがないか。ノリチンはまだ童貞捨てたばっかだもんね。むふふう~。それじゃあこれからも理恵が女を教えてあげるからね」
腰と頭に手を当てて流し目を送る理恵に三秒ばかり見惚れつつ、少しは言い訳のセンスを身につけたと思う紀夫であった……。
続き
陸上部は運動部。つまり体育会系。学年的には美奈子の方が一つ上。もともと綾自体口が丁寧なほうではなく、また美奈子が彼女より頭一個半背が小さいせいか違和感がない。
けれど、
「……日吉ってさあ、生意気じゃない?」
「……うん、そう思う」
「……だよね、やっぱしい」
練習後の部室ではそんな会話が飛び交っていた。
「……サトミン、あやっちヤバイかもね……」
「……そだね」
汗を拭きながらこっそり会話するが、飛び火しないことを祈るしかない。
「はあ……アンタたちいいかげんにしなよ」
陰口大会に水を差したのは意外にも美奈子の一声。むしろ一番怒って良いはずの彼女が何故? と皆言葉を失っている。
「綾が生意気なのはわかるよ。けどあの子はかなり実力あるし、正直ここで止まるべきじゃないと思うの。まあ、それで我侭を許せっていうのは別だけどさ、でも足を引っ張るのはやめてあげてよ」
十七になって百五十そこそこしかない背丈の美奈子はわき腹に手を着いて胸を張る。
「あ、いや、美奈子がそういうならいんだけどさ。ほら、やっぱケジメってあるじゃん? 他の後輩達が真似しても困るし……」
「あ、その、先輩たちに逆らおうなんてこれっぽっちも……」
揉み手をする勢いでへりくだる里美に理恵は笑いを堪えつつ彼女に倣う。
「とにかく、陰口とか禁止ね。いい?」
「はーい」
しぶしぶ返事をするも美奈子の背に向ってベーと舌を出す二年の部員。とはいえ、風紀に一段と厳しい部長が来ても面倒だと、帰りに寄り道する甘味どころへと話題をそらす。
「おじょうちゃま先輩、カッコイイね」
「うん。そだね」
背が低くお尻もオッパイも小さいおじょうちゃま先輩と揶揄される美奈子があそこまで吼えるとは思わなかった。
「やっほー里美ちゃん。今日もオッパイ大きくなった?」
「きゃあ!」
背後から両の乳房を持ち上げられる。犯人は例によって例のごとくイジワルな先輩だが……。
「理恵ちゃんのお尻、張りがあって羨ましいわ~」
「やーん、先輩のエッチィ!」
部員に対するセクハラだけは入念な先輩を見ると美奈子がとても頼もしい存在に思える里美であった。
**――**
夕日が沈む頃、自転車と二人分の影が伸びていた。
「……でさ、なんで綾ってあんなんなんだろうね」
「うん。さすがに俺も驚いたよ」
紀夫の印象だと綾はあまり人と関わりを持たないタイプだった。最初こそ新人素人マネージャーだからと思っていたが、二ヶ月近くたってそれが彼女の素であることを知った。
「でもさ、アヤッチってそういうところがクールなんだよね」
自転車の荷台に座る理恵がひょっこり顔を出す。彼女は練習中に足を捻ったと言い張り、彼に送っていってもらう約束をしていた。もちろん、紀夫が里美を送っていくことにはにやついていたが。
「クールなのはいいけど、あたし綾のこと良く知らないからなあ。なんかどう付き合っていけばいんだか……」
「そうだね~、中学の頃はもっと普通だったんだけど、受験の頃かな? なんか雰囲気変わったのよ」
受験シーズンなら誰でも変わるだろう。特に内面と外面にギャップがある場合は。
「んでも、あと二人、誰がきてくれるのかしら? 心配だわ。っていうか、理恵は無理なの?」
合宿参加希望を出したのは他に悟と紅葉。これは里美にとってあまり嬉しい内容ではなく、とはいえ一歩上のステージでの指導を受けるべくと飲み込む。
「ゴメンサトミン、あたし補習があるから」
理恵は特に部活に力を入れていないのは知っている。おそらく補習がなくとも参加しないのだろう。
「あーあ、なんか大変になっちゃった。んじゃね、また明日……」
がっくりと肩を落とす里美は例の十字路を曲がると、とぼとぼと歩いていく。
「あ、送っていくよ」
「いい。君は理恵を送っていきなよ。っていうか、変なことしちゃだめだよ」
返す言葉にも力が無く、紀夫は早まった選択をさせたかもと内心後悔していた。
「変なことだって。ウフフ、この前されちゃったしぃ……」
若気の至りを突かれると恥ずかしさと嬉しさ、照れが出てくる。そのにやけた面を見せまいと紀夫は自転車に跨り、必死で踏ん張り始めた。
「あん、はやーい」
おなかに回された手と膨らまない胸を背中に感じながら、紀夫は来た道を引き返していた。
**――**
例の公園には先客がいた。今はまだ談笑している程度だが、あと三十分もしないうちに日が沈むだろう。その後はわからない。
「あーあ、人いるし……」
「人いるって、別に公園だしねえ」
石段に座りながらペットボトルのジュースを煽る二人。
「せっかくノリチンと……」
肩にもたれる格好の理恵は人差し指で紀夫の頬をぐりぐりしだす。
「もう、理恵さんてば……」
「だって、テスト中とかノリチン冷たいんだもん」
「冷たいって、ちゃんと勉強教えてあげたでしょ?」
テスト前の二週間、放課後は常に三人でお勉強会。当然、保健体育の勉強を進める暇もなく、理恵にはやや退屈な日々だった。
「ね、理恵足が痛いの……」
「え、ホントに捻ってたの?」
「うん。バーに引っかかってね、靴下脱いだら痣になってた」
理恵は赤い紐靴を脱ぎ、暑そうな靴下を捲り始める。
無駄な毛の一本も無い彼女の右足は健康的に日焼けをしていたが、薄っすら見える痣が痛々しかった。
「ホントだ。保健室に行ったほうが良かったね」
「コレぐらい残らないよ。でも、ジンジンしてくるよ」
「どうすればいいかな? 冷やす?」
温くなったペットボトルを当てたところで患部がぬれるだけ。特に腫れが引くわけでもない。
「いたいのいたいのとんでけ~ってしてよ」
「え? やだよ……」
「え~、マネージャーなのにしてくれないの?」
「マネージャでもしないです」
「じゃあ理恵のここ、痛いまんまだ。きっとこの痣ずっとのこっちゃうんだろうなあ。エッチするときとか男の子に哂われちゃってさ、あーあ理恵ってば不幸……」
腕で顔を隠してバレバレの泣きまねをする理恵に、紀夫はどう対処したものかと頭を捻る。
「じゃあ俺はどうしてあげればいいのさ?」
「んとねえ、足、舐めて……そしたら許してあげる」
いつの間にか治療から贖罪に変わっていたが、ダダをこねる理恵に敵うはずもなく、またスカートから見える美味しそうな太腿を見てしまったからには理性のブレーキもオイルが抜けてしまう。
「それじゃ、するよ……」
石段を少し上がれば天下の往来。しかし、夏の日にしては早い夕暮れが二人を隠している。
「……ん、……あん」
ふくらはぎを揉みながら舌を痣にそって這わせる。
塩の味がする。多分シャワーを浴びていないのだろう。
細いながらも筋肉のある足は弾力があり、それを楽しむために歯を立てたくなる。けれどそれでは別の痣をつけることになる。
自分の欲望の本末転倒具合に自嘲しながらも、紀夫は彼女の脚を唾液で汚していた。
「ふぅ、あぁ……ん。ん、んふふ……なんか興奮するね……」
「ああ……」
「あ、今あっちのカップルキスしてた……」
「へえ……はむ、へろろ……んちゅ、ちゅぱっ……」
塩気が引くと、酸味が目立つようになる。どことなく汗臭く、苦みがあり、なのにやめられなかった。
「ん、もう、ノリチン、ちょっとは楽しもうよ」
つむじの辺りをゴシャゴシャとかき回されたので顔を上げる。
「だって我慢なんかできないし」
前歯を押し付けるようにして愛撫すると別の痕が着いてしまう。けれど紀夫はその数を増やす作業に熱心だった。
「ん、んぅ……、ねえ、抱いてよ」
「うぇ?」
突然の要求に思わず顔を上げる。
西の空は青と朱が混ざり、理恵の表情は影で見えない。どんな表情で自分を誘っているのだろう。それが気になった。
「今エッチなこと考えたでしょ。でもエッチじゃないよ。ただ抱きしめるだけだよ」
「あ、なんだ。そっか」
心の比率ではがっかりする気持ちが半分以上を占め、それが露骨に表れるのが情けない。
石段に座りなおし、理恵の両脇に手を回して膝の上に乗せる。あとは彼女のほうから身身体を被せてきた。
フンワリした花の香は季節はずれの金木犀。そして汗のすえた匂いが混ざり、お世辞にも心地よいとはいえなかった。
「んぅ……」
それでもきつく抱きしめ、彼女の放つ芳香を吸い込んでしまう彼がいた。
「やあだあ、そんなに鼻息あらくしないでよ……恥ずかしい」
肩に添えた手をぎゅっと握り、胸元の辺りで呟く理恵。彼女はそれを嫌がる風も無く、この擬似恋人同士の抱擁を楽しんでいるように見えた。
「これでいいの?」
下半身の隆起が収まらない紀夫は不満気に問うが、理恵は二度三度頷くだけで動こうとしない。
触れ合う肘や膝、太腿はその度にびくんと跳ねる。それも周囲の闇が深くなればおのずとこすり付ける格好になる。
――暑い。
日が暮れて間もない時間帯、風が吹いても生ぬるく不快。なのに抱き合う格好を強いられる。
――でも、こうしてたい。
制服の衣擦れが気になるものの、半そでからこぼれる汗でしっとりする二の腕が触れると、セックスとは違う興奮を覚える。
「ふぅ、ノリチン汗臭いや……」
上体を起こす理恵は紀夫を見下ろしながらため息をつく。
「なんだよ、理恵さんだって……」
「理恵だって?」
「いい匂いだった」
汗と趣味の悪い香水を嗅がされておきながらも下半身はしっかり女に反応しており、まだ彼女を抱いていたい気持ちがあった。
「そう? 理恵はあんまり好きじゃないけど……ノリチンは好きなの?」
「いや、理恵さんのが……」
「なにそれ? 理恵が臭うってこと?」
「いや、その悪い意味じゃなくて、すごく、そうだ! フェロモンってやつじゃない?」
「フェロモン? ふ~ん、まあいいや」
腑に落ちないといった様子で首を傾げる理恵だったが、もう気が済んだらしく隣にこしを下ろす。
飲みかけのジュースを変わりばんこに飲むこと数回、話すこともなくただ時間を無為に過ごす。
流行の服、化粧など知らない。ドラマや小説、映画や漫画も互いの趣味を知らない。遊びに行くなら多分互い違いの方へ行くのだろう二人ではそれもしょうのないこと。
「あ、あのさあ、理恵さんは合宿参加しないの?」
最初に沈黙に耐えられなかったのは紀夫のほう。彼は唯一の共通の話題である部活のことを切り出した。
「うん。だってあたしはそこまで陸上する気ないもん」
「そうなんだ」
「それにそのほうがノリチンと遊べるじゃん?」
――これも遊んでることになるんだ。
「でも、里美さん大丈夫かな。紅葉先輩参加してたし、あ、そういえば日吉さんは何で参加したくないんだろ」
「そうだね。紅葉先輩変だからね~。ただ、綾は多分アレを気にしてるのかな?」
「アレ?」
「ねえ、ノリチン?」
理恵に向き直ると彼女のにっこりとした笑顔がずいと前に出る。それこそキスができる距離であり、ピンクのリップがきらめくそれは異常に魅力的であり、南国のフルーツを剥き身にしたような錯覚を覚える。
今の雰囲気ならキスまでいける。そしたら、そのまま?
「うん……? ぎゃぅ!」
続く刺激は快感ではなく鋭い痛み。露出した肌に思い切り理恵の爪が食い込んでいた。
「二人でいるのに他の女の話はしないの。マナー違反よ?」
「ご、ごめんなさい……」
「今日のノリチン五十点ね。まだまだ足りません!」
理恵に赤点を言い渡される紀夫は自己の引き出しの無さを嘆きながら、振り回される自身の不運を嘆く。
「あ、ねえ、日吉さんのアレって?」
「まだ言うのかしら?」
立ち上がる理恵は腰に手を当てて睨みつける。といってもどこかしまりがなく、口の端がニィッと上がっている。
「あ、その……ごめん。何話していいかわからなくって」
「普通にしてればいいじゃん」
「理恵さん、可愛いし……、一緒にいて意識しないなんて無理だよ」
「ん、まあそうかしら。そうね。しょうがないか。ノリチンはまだ童貞捨てたばっかだもんね。むふふう~。それじゃあこれからも理恵が女を教えてあげるからね」
腰と頭に手を当てて流し目を送る理恵に三秒ばかり見惚れつつ、少しは言い訳のセンスを身につけたと思う紀夫であった……。
続き